無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10833日

 今日はハローワークに失業保険の申請に行って来たよ。歩いて20分ほどかかるが、朝から暑かった。まずはじめに申請書のようなものに、名前や住所、過去の職歴など書くんだが、連絡方法という項目があって、メール、電話、と続いたあと「否」という選択肢があった。連絡はいらないという意思表示だろうと思って、わしは職安からの連絡は必要ないのでその否を選んだんだな。そしたら後に窓口の担当者に、ハローワークからの連絡もあるので、どのように連絡するかと聞かれたよ。わしは今更メールアドレスを記入するのが面倒なので電話を指定したが、それならはじめから「否」なんていう選択肢を作るなよといいたかったな。まあこれで11月から年金と失業保険と両方がもらえることになり、一安心だ。

 うちの家からハローワークに行く途中に、むかし自転車屋があった。その自転車屋のあったあたりを通るたびに思い出す事があるんだな。そこの娘さんがうちの兄貴と同級生で、帰り道が同じなので、どうもよく一緒に帰っていたらしい。ある日その女の子が風邪で学校を休んだんだな。兄貴の学校では昼には給食があり、といっても脱脂粉乳だが、残ったパンを休んだ子の家まで届けることになっていた。そしてその役目が兄貴に回ってきたんだな。兄貴はランドセルにパンを入れて校門を出て、そのまま自分のうちを通り越して、先に自転車屋まで届けたら問題なかったんだが、途中でうちに寄ったんだな。後から持っていこうと思ったんだろうが、その時、ちょうど友達が遊びにきて一緒に外にでてしまった。その留守におふくろがランドセルを開けたんだな。するとパンが出て来たので、おふくろはてっきり兄貴が残したんだろうと思い、もったいないと半分くらい食べてしまった。しばらくして兄貴が帰ってきてびっくり仰天だよ。それを聞いたおふくろもあわてて、近所の店に代わりのパンを買いに走った。おふくろが経緯を手紙に書いて、それを代わりのパンと一緒に家まで届けるんだが、兄貴は嫌だというので結局1年生だったわしが持って行く事になった。というより詳しい経緯はわしには教えずに、ただこれを届けるように言われただけみたいな気がするな。届けたらむこうの両親は笑って、気にせんでいいよとおかあさんい言っといてと言って、そのパンをそのまま、わしに持たして帰したな。

 60年近く前の、のどかな話だが、自転車屋といえばこの話をつい昨日のように思い出すな。この女の子は後に日本航空の国際線スチュワーデスになったと聞いて、すごいなあと話題になった事があった。今と違って昔はなれなかったからな。