無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10811日

 老後を有意義に過ごすとか、老後を豊かにとかよく言われている。それは一般的には趣味に打ち込んだり、サークル活動をしたり、人の世話をしたり、或は遊んだりすることを指していると思うんだが、そんなことで老後を過ごして本当にいいのかどうか、わしにはよく理解できないんだな。そりゃ人それぞれだからしたいようにしたらいいんだが、老後なんていうものは野生にはない、人間だけに与えられた人生最高の贅沢だと思えば、あだやおろそかにはできないはずだ。

 命ある物は必ず死ななけれならないのは野生動物も人間も同じだが、野生動物は常に死がそこにある。しかしほとんどの人間は忘れている。或は忘れようとしているのかもれんな。そして、それでも生きていける。これ以上の幸運があろうはずがないんだが、ほとんどの人はそれによって得られた貴重な時間を有意義に過ごしているようには見えないんだな。

 老後とは第4コーナーを回り、最後の直線にかかったあたりをいうとしたら、ゴールはもうすぐそこに見えるはずだ。ここまでくれば死と隣り合わせということに関しては野生動物とほぼ同じ条件になったともいえるだろうな。あと10年か15年かで確実にやってくる死という存在を忘れようとして何かに熱中するのではなく、常に死を意識して老後をおくるということができれば、本当の豊かな老後が送れるのではないだろうか。

 まあこんな年寄りばかり増えても世の中辛気くさくなると思えばそうかもしれん。自分はやりたいことやって死ぬ時がきたら死ぬだけじゃ。などと大口叩くのもええが、異境備忘録なんかを読んでおるとそれだけでもすまんような気がするがの。