無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10801日

 わしの兄貴は2歳上で、11月1日で67歳になるんだが、本人曰く、小さい頃は、兄弟で2歳年が違うのは、わしが11月3日生まれで、二人の誕生日が2日違うからだと思っていたそうだ。誕生日の意味がよくわかってなかったんだろうな。我が家でも誕生日のお祝いとして、夕食にはすき焼きなどを食べていたんだが、わしの誕生日である11月3日が休日だから、その日にまとめてやっていた。すき焼きとは言っても肉はすぐに無くなったから、二人で競うように探していたのを覚えている。親はほとんど食べてなかったんだろうな。裕福ではないが、困窮することも無い、普通の楽しい家庭だったな。わしの周辺はだいたいこんな家庭だった。

 家の近所に、短い期間だったが白人と日本人の混血の子がいたことがあった。今だったらハーフだとか言ってもてはやす連中もいるんだろうな。わしも小さかったのでよく覚えていないが、大人同士の会話の中で、まざりとか、まんだりとか言っていたような気がする。あまり肯定的な感じではなかったな。わしはその子のことは話ではきいていたが、会ったことは無かった。

 そんなある冬の日におふくろ達が、今日はトラックで青森りんごを売りに来るんだと話していた。しかもそのトラックは青森から来るんだそうだ。わしはもちろん青森が地名だということすら知らなかったが、おふくろが遠い北国の雪が降るところから運んでくるんだということを話してくれたんだろうな。わしも家の前に立ってトラックがやってくるのを待っていると、30mほど北にある三叉路を右に曲がって、山のように大きなトラックがうちの方へやって来て停車したんだな。オート三輪ではなく四輪トラックだった。

 りんごを売っているのを見ていると、わしの横に誰かが立っているのに気が付いた。ふと見ると、きれいな顔立ちの、わしが見上げるような大きな子供で、眼の色が黒ではなかったな。そこでわしはこの子があの混血の子だと気が付いた。毛糸で編んだセーターを着て何か食べながら独り言のように「青森からきたんだ。」とか何か言ったんだが、残念なことに何を言ったかは正確には覚えてないんだな。わしも何か言ったんだが、それも覚えていない。ただ、そのきれいな顔立ちの子が、大きな青ばなをたらしてたのがアンバランスで、妙に印象的だったな。

 昭和31年か32年頃に、本当に青森からトラックで四国まで来ることができたのかどうか知らないが、青森りんごを売りに来たのはあれが最初で最後で、その後トラックでりんごを売りにきたのは長野りんごだった。今から思えば、雪の青森から土煙をあげながら、山を越え谷を渡り四国までりんごを売りに来るなんていうのはすごいロマンだな。

 今でもりんごを食べると、わしの横で青森りんごのトラックを見ていた、混血の男の子のことをよく思い出すな。