無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10746日

 今日は日本シリーズ第一戦が広島で行われている。大谷が投げるというので、2回まで見たが、それ以上見ていると面 白すぎて9回まで見てしまいそうになるのでやめた。昔は日本シリーズは昼間にやっていたような気がするんだが、いつ頃から夜に変ったんかな。そんなに昔じゃないんだろうな。

 昭和38年 の10月に小学校の修学旅行で別府と阿蘇に行った。別府市内を亀の井バスで走っていた時、ガイドさんが左に見える学校をさして、これがあの鉄腕稲生投手が 卒業した別府緑が丘高校ですよと説明してくれたことがあった。わしはまだ一般家庭にテレビも普及してない、昭和33年の日本シリーズは知らないが、鉄腕稲生だけは知っていたな。近所の「みふえ」という貸本屋で1日10円で借りて読んだ、少年とか少年画報とか冒険王、おもしろブック等の月刊漫画雑誌で見ていたんだろう。別府湾で漁師のお父さんを手伝って櫓をこいで足腰が鍛えられたというのは有名な話だったな。 映画にもなったはずだ。当時はこういう映画がよく撮られていて、若乃花物語なんていうのもあったな。若乃花も家族を養うために、小さい頃から大人に交じっ て沖仲仕として重い荷物を運んで、足腰が鍛えられたと話していたが、鉄腕稲生も若乃花も別に足腰を鍛えるためにしんどい事をやった訳ではなく、生活のため にやったことが結果として役に立ったということで、今のスポーツ少年とは全く逆だったんだな。今のスポーツ少年は足腰鍛えるためにわざわざしんどいトレー ニングをして生活に役立てようとするんだからな。

 わしが初めてみた日本シリーズは昭和34年の南海対巨人だった。杉浦4連投4連勝の血染 めのボールで有名なあの日本シリーズだ。同級生の山本君の家でみたんだが、家がなんかの商売をしていたので、店の入り口と玄関が一緒で、ガラス障子をあけ るとすぐに居間になっていた。そこにお父さんやら家族の人が寝転んでテレビを見ている後ろから、わしら4〜5人のガキ共が勝手に覗き込んでいるというシ チュエーションだったな。昔はおおらかなもんだったな。 

広告を非表示にする