無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10696日

 年末には子供等が孫を連れて帰ってくるので、みなが寝るスペースを確保するため、物置状態になっている1部屋の大掃除を始めた。それぞれが大学を卒業した時に送ってきたもの、それが3人分あり、さらに親父おふくろの遺品類が加わったので、足の踏み場も無いような状態だった。わしも捨てるという事を基本にはしているんだが、それでも捨てるか置いとくか迷ったときは、必ず置いとこかな、という方向に流されてしまう。それで、結局多くが残るという状態になるのが常だったが、今回は違ったな。

 女房は片付けが上手で、しかも根気よく何時間でも続けることができるという、わしなんかには考えられない能力をもっている。その女房が朝から始めたんだから、それはすごいことになった。なんと夕方5時過ぎには、ほとんど片付いてしまったんだな。わしは横でごちゃごちゃやっていたんだが、いろいろ面白いものがでてきたな。

 もう50年以上も前のことだが、親父が友達と共有で山林を購入したという話は聞いた事があった。わしはそれがどこにあるのか聞いた事はなかったが、兄貴は結婚した頃に親父に案内されてそこまで行ったことがあるらしい。どうやら親父は兄貴に残そうと思っていたようだ。その山の登記簿がでてきたんだな。スギやらヒノキやらが数千本植えられているようだ。森林組合の手入れや、林道開通費用負担の領収書もあった。平成20年には保安林解除の県知事からの通知書もあったので、ひょっとしてこの話まだ生きているんかもしれんな。だが、当事者はみんな死んでいるだろうから、その相続人がいるはずだが、誰も何も言ってこないという事は、国産材も安いし、山なんか誰も興味ないんだろうな。

 わしの14年前の収入証明書もでてきた。37年間で一番収入が多かったのがこの頃で、それ以後下がりっぱなしだったな。これは景気が悪かったんだから仕方がない。親は食うや食わずでも、何とか子供3人とも大学までやれたんだから、まあ幸せだったんだろうな。他にも、おふくろの死後、おふくろ名義の預貯金は全部親父名義に書き換えたんだが、なぜか親父が兄貴に200万円振り込んだという通知書なんかも出てきたんだな。何のお金だろうかなと女房と話したりしたが、そんなこんな、まとめてシュレッダーにかけといた。

 これでだいたいかたはついたが、今回、捨てきれなかったものが、まだ残っているので、もう1回やれば完璧になるだろう。思い出を捨てるというのは本当に難しい。