無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10691日

 テレビのニュースを見ていたら、ある地区の亥の子を紹介していた。子供等が亥の子歌を歌いながら、石で地面を搗いて回るんだが、これをやると道路に穴があくし、最近は舗装しているのでどうするのか見ていたら、畳を小さく切った物を地面に置いて、それに石を当てていた。仕方ないんだろうが、これでは地面を搗くことにはんらんだろう。

 この亥の子は、わしらが小学校の低学年くらいまでは、旧暦10月だから今の11月最初の亥の日に行われていた。その日の夕方になると、近所のまとめ役の子供の家に集まるんだが、まとめ役と言っても高学年の子で、しかも石を持っている家の子に限られる。しかもその子に嫌われると呼んでもらえないんだな。わしらがなんで呼んでもらいたいかというと、別にその行事に関心があるわけではなくて、ただ単にお金がもらえるという理由だった。

 みんなが集まると、その子がおもむろに石を取り出して来て、その石に、集まった子供の数に合わせて縄を付け、集まった子それぞれの役割を決めると、薄暗い中をぞろぞろと出発する。町内の家を一軒一軒回って、交渉役の子が「亥の子を搗かしてくだいさい。」と頼み、「搗いていって。」と言われたらその家の前でみんなが縄を掴んで、円陣をくんで亥の子歌を歌いながら地面を搗く。

 

亥の子、亥の子、意の子もち搗いて

祝わんものは、おいべっさんという人は

一に俵をふん巻いて

二でにっこり笑わんしょ

三で酒を作らんしょ

四つ世の中よいように

五ついつもの如くなり

六つ無病の息災に

七つ何事無いように

八つ屋敷を建て広げ

九つ小倉を建て並べ

十でとうとう納めた

この家繁盛せい、繁盛せい、もひとつおまけに繁盛せい

 

  これが終わる頃には地面に穴があいている。そしてここからが大事なんだが、交渉役の子は「終わりました。」といって家のおばちゃんがお金をもって出て来るのを待っている。すぐに出て来てくれたらいいんだが、少し時間がかかると嫌なもんだったな。だいたい20円から50円くらいだったと思うが、わしらにとっては大金だった。それを受け取ると、御礼を言ってまとめ役の子にそれを渡す。これで一軒が終わり、この調子で3〜40軒回ったかな。終わった頃にはまとめ役の懐には、小学生が持つには相応しくないほどの大金が納められていたはずだ。終了後、わしらは、うどん一杯分として30円もらって、うれしくて意気揚々と家に帰っていった。

 地区の行事のような形をとりながら、小さな子供を使って利益を上げ、ほとんどをピンハネするんだから、今から思えば、これは大人社会の縮図だったんだな。小学校6年生くらいでここまで、非情に徹する事ができるというのは、ある意味才能といえるかもしれんな。とはいえ、わしらにしてみたら、遊ばしてもらったと思えば、それはそれでいいんだろうが、その後1〜2年して、この亥の子の集金システムは学校から厳しく禁止されたから、やっぱり問題はあったんだろうな。