無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10680日

 とうとうあと10680日となった。まだまだ残日数が気になるほどではないが、4桁になったら少しは気になるのかな。実際いつ死ぬかなんていう事は誰にもわからないから何とでも言えるんだが、青天の霹靂だったといわれるような死に方よりは、誰もが予想できる状態の中で意志をもって死んで行きたい。願わくばということだが。毎日、あと○○日と書いて、死というものに思いをめぐらす時、常に頭をもたげてくるのが、果たして今のままで、従容として死んで行けるのかという疑問だ。

 湊川で弟正季と刺し違えて討ち死にした楠木正成や、四条畷で討ち死にした子の正行。わしがおふくろから桜井の別れの話を聞いたのは小学生の頃だと思う。わしと兄貴と3人で映画を見にいった時だった。わしはおふくろが行こうというのでついて行っただけで、どんな映画かは知らなかったんだが、それが楠木正成の映画だったようだ。おふくろも好きだったんだろうな。親子は桜井の駅で別れたというので、わしはてっきり鉄道の駅のようなものを想像していたが、普通の民家だった。今でもそのシーンをはっきり覚えている。そしてこの桜井の別れの歌。

 

青葉茂れる桜井の  里のわたりの夕まぐれ

(こ)の下陰に駒とめて  世の行く末をつくづくと

忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に  散るは涙かはた露か

 

 

正成(まさしげ)涙を打ち払い  我が子正行(まさつら)呼び寄せて

父は兵庫に赴かん  彼方(かなた)の浦にて討ち死せん

(いまし)はここまで来つれども  とくとく帰れ故郷へ

 

おふくろも口ずさんでいた元小学唱歌だが、大東亜戦争に負けてから、意識的に遠ざけられた歌の1つだな。死ぬ事も、その時も場所もわかっていて、従容としてそれに向かうという心境は、今のわしにはわからんが、この死を恐れないという気持ちは、生死を賭けた特殊な状況の中で自然にわき上がってくるものなのかな。