無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10606日

 二世代で同居している家は多いと思うが、そもそも同居する事の意味は何かと考えてみるに、一番大きなのが子供世帯の経費節約ということではないだろうか。わしの場合も市内で親と一緒に住んどけば、子供等が自転車で高校に通えるので、定期代もかからないというのがあった。しかし、実際に同居するとなるとそういう打算だけではすまない。

 わしと親は親子だが、女房は他人だ。女房とわしは夫婦で運命共同体みたいなものだが、親と女房とはやっぱり他人だ。そんなことを考えると、うまくいっている時はいいが、揉めた時はどうなるのか多少不安はあった。幸いわしらは、親と同居するまでの10年間、車で30分くらいの所に住んで、頻繁に行き来してお互いよくわかっていたので、親と女房とはうまくやっていけるだろうという確信はあった。

 さらに女房は穏やかな人間なので、親に何か言われても、言い返したり不平を言ったりすることは無かった。今から思えば、このことが最後まで円満に2世代同居でやっていけた最大の理由だと思っている。しかし世の中にはすぐに膨れっ面になったり、瞬間湯沸かし器みたいにすぐに怒りだす人が男女を問わず大勢いる。わしも65年生きて来たから様々な人達に遭遇して来た。もしこういう人達と、この先何十年も同居することになったとしたら、それはお互いが不幸になるだけで、決してプラスにはならないだろう。

 女房はできれば二男夫婦と同居したいと考えていたようで、わしがちょっと待ってくれと言ったのが意外だったようだ。あんたは一緒に住みたくないのかと言ってきた。わしは住みたくないのではない、嫁の性格をもう少し理解してからにしたほうがいいだろうと言うんだが、母親としては不満らしい。アパート代が勿体ないとか、やはり二男世帯の経費削減というのが目的らしいが、これから先、あと10606日2世代同居するつもりなら、それが目的というだけでうまくいくんだろうかな。

 一旦始めた同居を途中でやめなければならなくなったら、恐らく二男嫁とわしらの間に感情的なしこりが残り、二つの家族の間にも大きな亀裂が生ずるわけで、お互いが不幸になるだろう。将来同居もあるかもしれんなという話ぐらいで済ましておいたほうが無難だと思うんだがな。気持ちの上では子供に対する責任は既に果たしているし、わしも35年待って、やっと手に入れたこの静かな環境を手放したくないという気持ちもある。さて難しいところだな。