無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10557日

 わしは16歳で全寮制の学校にいって、それから5年と半年、団体生活を経験したが、同じ事を子供にやってほしいとは思わなかった。全寮制での生活は、これを実現したいという強い欲求がなければ、勤まる物ではない。今そういう状況で全寮制の学校といえば、防衛大学校とか海上保安大学校とか、将来団体で仕事をしなければならない特殊な学校が多いが、そういう学校を目指す学生は、全寮制も当然経験しなくてはならない通過儀礼ということで、耐える事はできるかもしれない。

 しかし、大学生ならともかく、わしの学校のように、15歳くらいで、年も若く意志がまだそれほど明確でない者は、目的意識が萎えてくると、寮生活に耐えられなくなり、生活が乱れて性格も荒んで来る。わしの周囲でも目的を失ったものは、暴力をふるったり、公然と煙草をすったり、酒をのんだりするようになった。それが見つかって家庭謹慎3週間。この間、学校の指導は無しで、ほったらかしだ。要するに、全寮を強制しておきながら、ルールを破った時は寮には置いとけないから、家でちゃんと教育しろということなんだろう。帰ってきても、つまらないから同じ事を繰り返す。そして2回目の家庭謹慎3週間、そして3回目で退学だった。

 退学にならなくても、3週間の家庭謹慎が3学期の学年末試験にかかると、全科目0点になるので、赤点が3科目以上となり、落第が確定する。通常落第して下の学年にいくと、もっと荒れて多くがやめていった。高校生の年代はまだ子供だ。試験だけでも受けさせてやればいいのに、こういう状況を自己責任として事務的に処理していった学校に、今も疑問を持っている。これらの学生もこの学校に来ないで、親元から普通の学校に通っていれば、或は全寮でなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。ルールを破ったから親元で教育し直せというのではなく、若いんだから進路変更も含めて、柔軟な指導をすることが教師の責任だった思う。学校を退学になって、親と一緒に寮から出て行く仲間を見るのもつらかったが、本人はもっとつらかっただろう。

 ちなみにわしの二男は高校生のときに、煙草所持で警察に補導され、1週間の停学になった。わしら夫婦も校長に謝罪しに行ったが、停学とはいっても、授業こそ受けられないが、毎日登校して先生とも話して、反省文を書き続けた。学校は卒業まできちんと対応してくれた。わしは今でもこの二男の行った高校には感謝している。