無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10546日

 朝の掃除をしながら、ユーチューブで昔の歌番組などの映像を見ていると、時々NHK紅白歌合戦がでてくることがあるが、この間、わしにとって一番思いで深い、昭和48年の映像が流れていたので思わず見入ってしまった。わしはそれほど熱心に紅白を見ていた方ではないが、昭和48年のだけは思い出に残っている。あれは、昭和49年の1月だったと思うが、カルカッタキングジョージドックに接岸後、船内に次の様な掲示がでた。『カルカッタの領事館で、昨年の紅白歌合戦の映画を上映するので、希望者は申し出る事。バスの送迎あり。』内地で正月を迎えることができない船乗りに、日本政府が紅白歌合戦を見せて、正月気分を味わわせてくれるという粋な計らいだった。誰かがこうやってわしらのことを気にかけていてくれるということが、ほんとうに嬉しかった。バスはM丸のいたキングジョージドックだけでなくキダポールドックも回って、数十人の日本人船員を拾って領事館へ向かった。

 わしの乗船していたM丸は、大晦日、正月頃はカルカッタへ向けて航海を続けていた。其の時の航海の様子などを少し小説風に紹介する事にする。長いので3回ぐらいに分けることにした。

  『荷役を終えた本船は、午後二時にバングラデシュの港町チッタゴンカルカッタへ向けて出航した。一時間ほど川を下りベンガル湾へ出ると速力をあげ、航海速度一四~五ノットで北東に針路をとった。出航スタンバイから解放され甲板に出ると、ちょうどブリッジから降りてきたばかりの操舵手(クオーターマスター)の近藤さんに出会った。私に気が付いた近藤さんは「カルカッタへは、ガンジス川の支流を6時間ほど遡らなければならないので、途中で日没になるよ。」と、特徴のある、落語家のような語り口で話しかけてきた。「その時はどうするんですか。」「アンカー降ろして日の出を待つんだよ。」六〇〇〇トンの貨物船がアンカー降ろして日の出を待つという川がどんなものか、私には想像もできなかった。「あと二時間もしたらインド人のパイロット(水先案内人)が乗ってくるからね。インド人のパイロットは、みんな自分が世界一偉いと思っているから横柄だよ。そうだ、パイロットが乗船して暫くしたらエンジンルームに電話してあげるから、どんなものかブリッジに見に来るといいよ。」そう言うと、近藤さんはまたブリッジへ上がっていった。乾期の空はどこまでも青く、水平線のあたりにわずかに雲がかかっていた。そしてベンガル湾の、緑色の大きくゆるやかなうねりが船体を包み、ゆりかごに乗っているような心地よさを覚えた』

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明日に続く