無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10545日

 昨日の続きで、カルカッタへ向けてのわしの最初の航海の様子だが、わしもインドは行ってみたい国だったので、期待していた。 

『機関室内にあるコントロールルームには当直の宮崎二等機関士と操機手の前田さん、河川航海ということで機関室の責任者である山尾一等機関士も入っていた。私が先ほど近藤さんから聞いたインド人パイロットのことを話すと、「話にはよく聞くが、実際お目に掛かったことはないなあ。近藤さんから電話があったら俺も一緒に見に行くよ。」と山尾一等機関士が興味を示した。通常、機関科の者がパイロットと顔を合わすことはない。三〇分ほどすると、けたたましいブザー音と共にテレグラフがスタンバイエンジンを指示した。通常航海の状態からエンジン回転数を変える準備をせよという合図である。それに続いてスローエンジン、デッドスローエンジンと立て続けにテレグラフが動いた。そろそろパイロットが併走する小舟から本船のタラップに飛び移る準備をしている頃である。「さあ、お偉いパイロット様のご乗船だ。」宮崎二等機関士が、メインエンジンの操縦ハンドルを操作しながら、近藤さんの声色をまねておどけた調子で言った。その見事な物まねに大爆笑がおこった。五分ほどして通常の航海に戻ったころ、近藤さんからの電話が鳴った。

 私と山尾さんはエンジンルームを出てブリッジへ向かった。一度甲板へ出てガンジス川の景色を眺めてから、外階段を通って行くことにした。陽は既に西に傾きかけていたが、遥か彼方に陸地らしきものが見えた。川幅はいったい何キロあるのだろう。これはどう見てもこれは川ではなく海だと思った。引き戸越しにブリッジの中を覗くと船長、一等航海士、当直航海士、近藤さん、他に4~5名がいてブリッジの中は満員の状態だった。しばらく覗いていると近藤さんと眼があった。彼はにこっと笑って手招きをした。「失礼します。」私は大きな声で挨拶をして中へ入った。「どうしたの珍しい。」双眼鏡を覗いていた一等航海士の吉田さんが振り返った。「インド人のパイロットが偉そうだというんで、どんなものか見に来たんだよ。」山尾さんがブリッジ中に響きわたるような大声で言った。「聞こえますよ。」私は驚いて山尾さんの顔をのぞき込んだ。「なあに、いいんだよ。奴等は日本語がわからないから。ねえ船長。」見ると園田船長も笑いをこらえながらうなずいている。』

f:id:tysat1103:20170511171005j:plain

明日に続く

広告を非表示にする