無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10485日

 わしが運転免許を取ったのは昭和51年、24歳の時だったから、当時としても遅い方だった。一般的には、学校を卒業して就職する時に取るんだろうが、船乗りとして就職するのには、自動車運転免許ではなく、海技免状を要求されるので、必要性がなかったということもあったんだろう。「昔軍隊、今教習所」とは、昔は若者は徴兵されて軍隊で鍛えられたが、今の若者は軍隊の代わりに、教習所で鍛えられている、というような意味らしいが、当時の新聞紙面で読んだ事があった。

 その言葉が、記事の中で、どんな使われかたをしていたかは、覚えてないが、理不尽な扱いを受けても反抗できない、というような意味もあったのかもしれない。指導員も、今はお客さんとして、随分丁寧な対応をするようだが、当時はそうでもなかった。指導員の質にも、ばらつきがあり、ひどいのもいた。今はどうか知らないが、当時は時間を決めずに、飛び入りで午前1回午後1回乗れるコースがあった。指導員はその度に変るので、しがらみが無くていいんだが、逆に向こうもいいかげんな指導をしていたようだ。

 路上に出る前の検定では、いつもやっていることと同じ事をしたら、それをしてはいけないと言われて、落とされたこともあった。それまでの練習に、6〜7人の指導員が関わっていたが、誰も教えてはくれなかった。また、飛び入りコースの場合、路上検定の前に、一度だけ上級の検定員が確認するシステムだったので、その人を乗せて走った時は、初っ端から驚いていたな。スタートの場所も、走り方も、そもそも路上検定のコースすら知らなかったので、さすがにあきれて、お前は一体何を習ってきたんだと言いながら、過去の記録を確認していた。きちんと指導員の確認印が押されてあり、過程は終了している。

 この検定員はしばらくその記録を見ていて、理解したようだった。並んでいる数人の印鑑を指差しながら「こいつらか!」と舌打ちをした。この人は元陸軍下士官で、軍隊でたたかれながら自動車運転を習ったと話していたが、若い、やる気の無い指導員に普段から腹がたっていたんだろう。「これではいかん。わしが教えるからもう1回初めからやり直すぞ。」と言って、翌日の路上検定のやり方、ポイント等、走りながら丁寧に指導してくれた。おかげで1回で合格したが、それまでの数時間分の路上練習は一体なんだったのか、きちんとした指導員さえいれば、1時間で十分だということかと、さすがに頭に来たな。

 わしは若い頃から、遠慮せずに何でも言う方だったんだが、教習所では、おかしいと思いながらも、唯々諾々と指導員に従っていたということは、あの、「昔軍隊、今教習所」という雰囲気は、確かにあったのかもしれんな。

上級検定員に「こいつらか!」と言われたヒラ指導員達、今ならクビだろうな。