無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10414日

 近くの中学校で、台風で順延された運動会をやっている。先々週からずっと練習してきたんだから、もう目をつぶっていてもできるくらいだろう。今年は、去年のような先生の怒鳴り声が聞こえなくなったと思っていたら、どうも校長が変わったらしい。あの下品なチンピラのような言葉遣いは、教育現場にはふさわしくなかったからな。去年の今頃はその怒鳴り声を聞いて、体育教師なんかには碌なのはいないと女房に言っていたんだが、今年の4月からは、女房の高校時代の友人のAさんが体育教師で赴任したので、さすがAさん、スマートに指導しとるなと言って褒めておいた。

 わしは昔から、教師という職業を選べる、自信に満ちた人たちがうらやましくもあった。自分が教えるべき何かを持っているのかと自問したとき、わしは自分の中にそれだけの物を持っていると答えるほどの、身の程知らずでもなかった。中学校の時に、植樹祭で天皇皇后両陛下が来られた時に、わしらは授業中だったが、日の丸の小旗を振って沿道でお迎えした。その時にわしらの列の側にいたはずの体育のK先生が急にいなくなった。

 それから30分ほどして、車列も通り過ぎたので学校に帰ろうとした時、そのK先生がさっぱりした頭で、わしらの前に現れた。そして「時間があったので床屋に行ってきた。」と何のためらいもなく言い放った。わしらがみんな小旗を振ってお迎えしているのに、なんでこの人はそれをしなかったのか理解できなかった。家に帰って親父にその話をすると「馬鹿者が」と軽蔑していたな。こんなことはおそらく誰も覚えてないだろうし、ひょっとしたら本人も忘れているのかもしれないが、体育教師とはいえ、この人がや子供に教えるべき何かをもっていたとはとても思えないだが。

 しかし、そんな体育教師でも、校長や教育委員会の要職についてしまうこともある。このK先生もそうだった。わしより15~6歳ほど年長だったはずだ。その後反省して真人間になったにかもしれんが、教師という職業が、この程度の人でやれるものであるなら、わしでも十分やれる。しかしそれでは子供がかわいそうだろう。案外わしの体育教師嫌いはこのK先生のせいかもしれない。思想的なものがあったのか、単なるずぼらなのかわからないが、教師たるもの、常に子供の模範となる態度でいてほしいものだ。それだけ責任ある仕事だと思うんだが、そんな教師にはほとんど出会ったことがない。まあ、こんなことを言っていると、教師もなり手がいなくなるかもしれんな。