無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10384日

 女房の友人で、リハビリ関連の大きな病院で事務長をやっている人が、病院に一番入院してほしくないのが、足が達者な痴ほう老人だと話していたそうだ。人権云々と騒がれるから縛り付けるわけにもいかず、かといって人手をかけることもできない。確かに病院にとっては大きな負担だろう。この話を聞いて昭和48年練習船青雲丸の図書室で読んだ、有吉佐和子も「恍惚の人」を思い出した。

 当時はわしは21歳で、両親も52歳だったからまだまだ遠い世界だったが、誰でも茂造さんのようになる可能性があるということに気が付いて愕然としたのを覚えている。痴ほう老人はおそらく昔からいたはずだが、社会問題にならなかったのは、家の中で誰かが犠牲になって、面倒を見ていたということなんだろう。何年か前にも、知らない間に家から抜け出して、踏切事故で亡くなった方がいたが、子供なら鍵をかけたり、柵をしたりで防げるが、そんなことで老人の行動を制限することはできない。このニュースを聞いた時も、家族に24時間の監視を求めても無理だろうと思った。病院でも嫌がることを一般家庭に求めてもできるわけがない。

 わしが子供の頃、近所にも老人介護している家があった。おふくろがそこの人と知り合いだった関係で、聞いてきた話を時々してくれたので、わしは知っていたが、近所でも知っている人はあまりいなかったようだ。そういうことは家の中で隠していたんだろうな。そこは痴ほうの義理の母を見ているお嫁さんという、よくあるパターンだった。今のように、便利な紙おむつとかの衛生用品も無かった頃だから、大変だったみたいだ。

 聞いた話の内容はほとんど忘れたが、布団の上に排便をして、始末に来るのがちょっと遅れると、その便を手でつかんで投げつけるとか、壁に擦り付けるとか、そんな話を聞いていて子供心に恐ろしかったのは覚えている。人間にそんなことができるのか、とても信じられなかった。それを聞いてしばらくの間は、その家の前を通るたびに、この家の中でそんな恐ろしいことが行われているのかと、足早に通り過ぎていたから、よっぽどショックだったんだろう。

 うちの場合は、幸いなことに両親ともに痴ほうになることは無かったので、精神的な葛藤はあったが、物理的な困難はほとんど無かった。子育てもほぼ終わっていたので、親だけに集中できたのも幸いだった。女房はもう1人、一緒に見てくれる人がいれば、施設に入ってもらわなくても家でみることができたのにと残念がっている。

 女房から、友人の事務長の話を聞いて、長生きすることだけ考えるのは老人のエゴではないのか、適当な時期に死んでやるのが親の最期の勤めではないのか、それは長くても80代半ばくらいかな.....などといろいろ考えさせられた。