無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10377日

 今日は朝から久しぶりの快晴で、こういう日は朝起きても気持ちがいいものだ。女房が6時過ぎには仕事に出かけたので、わしも二度寝をやめて、7時頃から毎朝の掃除にとりかかった。二度寝は一度始めるとくせになって、やめようと思ってもなかなかやめられない。確かに布団に入るときは気持ちがいいんだが、起きた時に、なんか頭がぼうっとして、一日を無駄にしたようで、敗北感が漂っているような嫌な気分になることが多い。

 二度寝というと、いつもこの話を思い出す。島で寮生活していた頃は、定期試験の一週間前になると10時の消灯が無くなって、試験勉強するしないに関わらず、一晩中起きていることができた。入学して最初の前期中間試験の時はそれが珍しくて、起きる気もないのに夜中に起こしてくれと頼む奴が現れた。それがK君で、なぜ起こしてほしいかというと、起きて勉強をするのではなく、二度寝がしたいからだと言っていた。夜中に一度目を覚まして、そのままもう一度寝るのは、本当に気持ちよく熟睡できるらしい。「お前が寝る時に起こしてくれ。」と、みんなに頼んでいたが、そんな個人の変わった趣味に付き合うやつは誰もいなかった。K君にとっては、それほど二度寝が楽しかったんだろう。

 11月4日の、おふくろの13回忌法要に、兄夫婦も帰って来ることになっているので、掃除のあとで2組の冬布団を天日干しにして、更にシーツを洗って干したら、物干し場は一杯になってしまった。いくら快晴でも10月末の日差しは弱い。真夏にはシーツなら1時間で乾いていたが、今日は乾くまで3時間くらいはかかった。こうなるとあの、めまいがしそうな真夏の太陽が懐かしい。

 この段階でまだ10時前だったので、ウサギと亀ではないが、ここらでちょっと一休みと思って、ソファの犬の横に座って、昨日買ったTheRemains of the Day を読んでいると、案の定そのまま寝てしまった。目が覚めたのが11時、近所に、週1回木曜日に「道の駅からり」が店をだすので、注文しておいたパンを取りにいかなければならない。1本550円で少し高いが、ここのパンはほんと美味しい。このパンを食べだすと、スーパーで売っている「超○」などというパンを食べようと思わなくなる。

 「来週はおふくろの13回忌の法事で人が来るから、3本お願いします。」とおばちゃんに声をかけた。人と話したのは何日ぶりだろう。「ああ、もうそんなになるんよね。店にもよく来てくれたんよ。」と懐かしんでくれた。ついでにそこで、昼食のいなりずしと巻きずしを買って急いで家に帰った。昼食後、室内を5000歩あるいた後、晩御飯のデミグラススープを作り、3時頃洗濯物を取り込んで今日のデューティーは全て終了した。

 こうしてみてみると、結構忙しい。定年退職後、家で粗大ごみになるなどという笑い話はよく聞くが、わしなんか役に立っているほうだと思っている。昔と違って、今の時代の家事労働は、それほど大変なことではない。ただ、これに育児や介護が加わると、1人でやっていける自信も度胸も無いな。女房はほとんど1人でやってきたし、どこの家庭でも女性が担っていることが多いのをみると、わしは、やっぱり女性は偉いなと思う。