無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10346日

 どうのこうの言ったところで、人間というものは、いくつになっても欲を捨てることはできないと思っている。或いは、欲があるから生きていける、と言ったほうがいいのかもしれない。中でもお金に対する欲求は特別で、誰にとっても、お金というものが、生きていく上での重要なバロメーターとなっていることは間違いないだろう。

 今は株はほとんど持ってないので、損をする心配はないが、儲けることも無い。ほとんどを手放した頃は、これで損する心配はなくなったと安心していたが、売った株が上がっていくのをみていると、別に損をしたわけでもないのに、なぜか損をしたような気がしてくる。ここであわてて手を出すと高値掴みをしてしまうので、それもできない。これは結構ストレスになると、最近気が付いた。

 売れば上がる、買えば下がるという感覚は、株式投資の経験者ならみんな感じていることだろう。それでも余裕資金で現物株を持っているということは、心の余裕にも繋がっていく。下がっても、売らない限りは含み損で、その間配当ももらえて利益は積みあがっていく。10年、20年持っていれば、つぶれない限りは必ず上がってくる。儲けようと思ったら、現物株の長期保有に限るということはわかってはいるんだが、ちょっと刺激もほしいと思うこともある。

 今年の6月から始めたのが、日経225miniの寄り引け取引というやつだ。売りか買いかしかないんだから、大雑把なところで確率5割といえるだろう。朝の寄りで、売りか買いのポジションを持ち、その日の引けで決済するので、夜まで引きずることがない。負けても損害はそんなに大きくならないし、これならストレスも少ないだろうと始めてみると、なかなかどうして、勝てば極楽負ければ地獄、毎日がこれの繰り返しだ。しかも年間勝率5割以上に持っていこうと思ったら、一日も休めない。

 

 起きて半畳寝て一畳天下とっても2合半、これだけあれば生きていけるとはいうが、お金というものは、あって邪魔になるものではない。誰でもお金がかかってくると真剣になるし、いい加減な気持ちではやれない。こんなことで、たまには人生真剣勝負という気持ちを思い出すのもいいのではないのかな。もちろん余裕資金で、ほどほどにやっとればの話だが。