無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10632日

 今朝女房が整体に行くので、終わった頃にわしが車で迎えに行って、焼き肉ランチを食べに行く約束をした。女房が出た後、わしはいつもの通り掃除機を使った後、雑巾で床を拭いたところで、迎えに行く時間がきてしまった。風呂の掃除が残ったが、それは午後からということで、急いで支度をして駐車場へ行った。そこで問題が起こった。ドアを開けようとしても開かない。わしはてっきりキーの電池が無くなったのかと思って、鍵穴に差し込んで手動で開けて中に入った。そしてエンジンをかけようとしたが、うんともすんとも言わない。そこでやっと気が付いた。この間、エンジンのかかりが悪いので、そろそろバッテリー交換せんといかんな、などと話したことがあったが、まさかこんなに早く来るとは思わなかった。バッテリーの突然死は、車に乗るようになってこれで3回目だが、今回は家の駐車場で死んだだけまだましだったな。

 たしか2回目の突然死は、おふくろの墓参りに寺に行ったときだった。車を停めていた時間は15分位だったが、おそらくエンジンを止めた瞬間に死んだんだろう。仕方が無いのでクレジットカードのロードサービスに電話して来てもらった。寒いし、周りは暗くなって来るし、其の時もバッテリーは早めに変えるようにせんといかんな、などと一緒に行っていた親父と話したことがあったんだが、またやってしまった。

 今のバッテリーは2015年2月23日に楽天で買ったGS YUASAのUN40B19Lで、丁度、まる2年経っている。2年間4万キロ保証の品物だったから、まさに能書き通りで、これには感心したな。仕事に行っている時は通勤に使っていたので、毎日往復30キロ走っていたから、バッテリーももう少しもったような気がするが、辞めてからはちょい乗りばかりなので、2年間もてば上出来だろう。今回も楽天の同じ店で、同じGS YUASAのBV40B19Lを注文しておいたので、また2年間はもつだろうが、それまで運転しているかどうかはわからんな。

あと10633日

 今日は55回目になるマラソン大会があった。10201人が出走する、地方ではけっこう規模の大きいマラソン大会らしい。今回はあのK選手が招待されていたので、気になってスタートからずっとテレビで見ていたが、ゴールまで4kmの地点で、このままいくと、K選手が2時間9分台の好記録で帰ってくるということがわかると、わしもじっとしておれなくなった。そんな好記録で走る人を、テレビでは見た事あるが、実際に見た事が無い。幸い帰りのコースはうちの近所を通っていて、しかもゴールまで数百メートルの地点だからトップスピードになっているだろう。これはテレビなんか見ている時じゃないと大慌てで支度して、サンダル履きで自転車に飛び乗った。

 数年前にも、娘の勤務先の同僚が走るというので、見に行ったことがあるが、其の時よりも人出は多かったな。K選手効果だろう。道の脇に自転車を停めて5分程すると、先導車が、もうすぐ来るから歩道で応援するようにと言いながら通り過ぎて行った。スマホで写真を撮ろうと構えて待っていると、遠くの方で歓声が起こり、みるみる近づいてきた。夢中で3枚程シャッターを切ったが、スマホの液晶が暗いのか、質が悪いのかしらんが、画面が全く見えなかったが、なんとか1枚だけ撮れていた。

 おっと、こんな事をしに来たんではない、K選手を見に来たんだと気づいて、K選手をみると、一瞬ではあったが、テレビで見たあの顔が心なしか微笑んでいるようにも見えた。勝利と記録を確信していたんだろう、すごいスピードであっという間に通り過ぎていった。招待選手に大会新記録の2時間9分54秒で走られたら、今後地元選手が記録更新する事は、ほぼ不可能だろう。それにしても有名選手の有名選手たる所以はやはり期待を裏切らないということに尽きる。いくら優勝しても平凡な記録だったら、それほど話題にもならなかったんじゃなかろうかな。

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あと10634日

 先日、新聞の訃報欄をみていると、以前の職場の先輩であるT氏のお父さんが93歳で亡くなられていた。元○○村助役とあったので、若い頃はさぞや活躍された方だったんだろう。わしの親父より4歳程若いので、大正13年か14年の生まれだろうと思うが、大正生まれというのは大東亜戦争が始まった時には16歳から31歳で、まさに戦争の世代でもあり、さらに戦後復興を成し遂げた世代でもある。

 その大正生まれの人達が社会の第一線から完全に退いたのが昭和60年。それから32年もたってしまったというべきか、或は32年しかたっていないというべきか、東芝ソニーなんかの状況を見ていると、メザシの土光さん、井深さん、盛田さん等の明治大正生まれの人達の遺産を食いつぶしているだけにしか見えない。わしらも含めた所謂団塊の世代の教育にも問題があったのかもしれんな。また、わしらの若い頃は、明日は今日より良くなるという、社会の雰囲気の中で、人生や社会を軽く見る傾向があったかもしれない。戦後の繁栄を棚ぼた式に受け取り、消費した世代ともいえるな。いろいろ反省する事は多いが、もう後の祭りだな。

 わしらの世代に比べると、周りにいる、今の平成生まれの若者はみんなしっかりしている。あと30年たてば平成生まれが社会の第一線から退き始めるが、この30年で日本をどのように変えていってくれるか、楽しみではあるな。あと10634日あるから、わしもなんとか間に合うだろう。

あと10635日

 昨日長男の嫁が、買い物に近くまで出てくるので、午後3時頃うちに寄ると連絡があった。子供2人と一緒に、予定より早く昼過ぎには着いたんだが、なんか元気が無いので聞いてみると、少し熱があるということだった。熱があるのに、1時間半車を運転してでてくるんだからよほど大事な買い物だったんだろうと、わしら夫婦は考えていた。ちょっと横になっとけばよくなるというので、女房が布団を敷いて寝かしたんだが、晩ご飯の時になっても、食欲も無いし、38度も熱があり赤い顔をしている。それでも、明日は幼稚園の役員会があるので、今日は家に帰るというのを無理矢理やめさせて、1晩泊めることになった。

 今日は朝から上の子を連れて、車でスーパーに買い物に行き、ミスドでドーナツを食べさせていると、電車に乗りたいというんで、女房が市内電車に乗せて家まで連れて帰った。昼飯にラーメンをうどんを作って食べさせて、わしはこれでしばらく解放されるだろうと安心して部屋にこもっていると、女房が積み木と絵本を持ってきて、これで上の子と遊んでくれというんだな。しかしそれはわしにとっては一番荷が重い仕事だ。

 わしがパソコンの画面を眺めていると、1人で何かしゃべりながら、積み木を並べて遊んでいたが、しばらくすると、積み木の手を休めて、ちらちらとわしの方を見る、視線を感じるようになった。声をかけると、まるでそれを待っていたかのように、例のぶら下がり健康器を触り始めた。この子は身が軽いというのか、1人でするすると上までよじ登ってバーにぶら下がり、また1人で下まで降りて来ることができる。4歳児にとっては最上段はかなりな高さだと思うが、ぜんぜん怖くないらしい。高所恐怖症のわしには考えられんことだ。

 嫁はインフルエンザの可能性もあるので、カロナールの代替品でアセトアミノフェンタイレノールをレディ薬局で買って帰って飲ませた。ついでに、女房がインフルエンザに効果があるというので、明治プロビオヨーグルトR1を6本買って帰って、わしも1本飲んでおいた。1本飲んだところでおまじないにもならんとは思うが、わしはインフルエンザの予防注射をしてないので要注意だな。

あと10636日

 2日前から、女房もソフトバンクをやめて、格安シムでUQバイルのHERWEI P9liteに変えたんだが、驚異的な速さだな。以前から、UQバイルが速いということは、各種スピードテストで実証されているが、自分でやってみると、その速さに改め驚かされた。

わしのNifmoとの違いは以下の通り

UQmibile

09:53   58nm     50.87Mbps    12.15Mbps

12:07   56nm     51.19Mbps    12.15Mbps

Nifmo

09:54   56nm     28.47Mbps    6.60Mbps

12:06   76nm     2.17Mbps       6.05Mbps

 UQmobileもNifmoも、同じ程度の品物として、同じくらいの値段で売っているんだが、この圧倒的な違いだけをみると、なぜみんながUQmobileにしないのか理解に苦しむところだ、と言いたいところだが、わしは別にNifmoで不便を感じたことはないし、今すぐUQmobileに変えようとも思わない。実際使っていると、体感的には数値ほどの差は感じない。わしは動画は見ないし、株式の速報やメール、whatsapp、2chを見るのがメインだから、いくら速くてもそれはオーバースペックだな。

 数年前にIIJの1GBコースで、データsimを使い始めたころは、高速が不足するので、よく低速の200Kbpsに切り替えて使っていたが、それでもそんなに遅いと思ったことはなかった。スマホも人が使う物である以上、使用者の感覚の範囲内にあるということが重要で、人の目に見えない速さで動く物は、人にとっては存在してないのと同じだということや、人の目で1万色の識別しかできないとしたら、人が見る物に100万色用意したところで何の意味も無いということと同じく、識別能力を越えた、数値で表された性能というものは、日常生活ではそれほど意味が無いということになるんじゃないかな。

 

あと10637日

 今日はハローワークの失業認定日で、午後から行って来た。去年の秋から自転車利用を再開したので、帰る途中で買い物もできるようになったし、ずいぶん楽になった。去年の夏は歩いて行っていたから、帰る途中のレディー薬局で、後先を考えずにコーラ1Lを2本買った時は、家まで下げて帰るのが大変だった。やっぱり自転車の威力は大きいな。

 1月の認定日は富士山を見る旅に行ったおかげで、飛ばしてしまったので、1ヶ月間失業保険がおりなかった。今回行かなかったら、3月末で期限切れとなり、全額が貰えなくなることがわかっているので、朝からずっと気になっていたが、つつがなく手続きは終了し、4〜5日後に27日分が振り込まれる事になった。わしみたいに求職する気はないのに、失業保険を貰うためだけに、ハローワークに通って職業相談をしている人が、どのくらいいるのか知らないが、職業相談をする職員は見たらわかるんだろうな。

 わしの場合、年齢も65になっているというのもあるだろうが、リアル求職中の若い人達との会話とは全然違っている。それでも去年ハローワークに通い始めたころは、わしに仕事の希望を聞いたり、気になった求人はあったかとか、いろいろ話をしていたんだが、最近はすぐに書類に判を押して、次の認定日までに、あと1回相談に来れば条件を満たす、ということを教えてくれるだけになってしまったな。別にそれはそれでいいんだが、仕事を探す気もないのに、失業保険を貰うためだけに通うというのも、なんとなく気が引けることもある。保険料を払ってきたんだから当然権利はあるとはいえ、ちょっとな。

 とはいえ、現実をみるとそんな悠長な事を言ってはおれんわけで、今日は女房が朝から仕事に出かけたが、出がけに何回も、忘れずにハローワークに行きなさいよと念を押していたし、昨日娘が来た時に、女房と娘の会話を聞くとも無く聞いていると、去年の8月からわしの収入がほぼゼロだとか、毎月がタケノコ生活だとか、言いたい放題言っとったな。それでもみんな元気で、飯だけはなんとか食えるんだから、わしには何の不満も無いんだがな。

あと10638日

 わしが小学校3年の時に、うちでジュウシマツを飼うことになった。わしら兄弟がどうしても飼いたいといって、しつこく親に頼んだ結果、2羽のつがいを飼う事になり、ある土曜日の午後、親父と兄貴が自転車で店まで買いに行く事になった。店はだいぶ前に無くなったが、うちから1キロちょっと離れたところにあり、今は家が建て込んでいるが、当時は道路沿いの田んぼの中にぽつんと建っていた。わしも一緒に行きたかったが、連れて行ってもらえなかったので、しかたなく近所の同級生のF君とふたりで、うちの近くを流れる川の岸に座って、自転車の走って行った方角を眺めながら、帰ってくるのを待っていた。F君の家ではすでにジュウシマツを飼っていたので、わしらが飼いたいと言い出したのも、おそらくそのF君の影響だったんだろう。

 飼うにあたって、鳥かごが必要になるが、これは梱包材の切れ端と金網を使って親父が器用に作り上げた。親父はなかなか器用で、アイロン台なんかも、売り物と変らないような立派な物を作った事もあった。去年遺品整理をした時に、押し入れの奥のほうから、ボロボロになったこのアイロン台が出て来て驚いたが、底の部分には丁寧に墨で、昭和三十四年○月○日と作製日が書かれてあった。わしは夏の暑い日の夕方、完成したアイロン台を、親父が自慢しながら、わしらの前で墨を摺って日付を書き込んだのをはっきり覚えていたので、これは懐かしかったな。親父も30代後半でまだ若かった。

 親父と兄貴が何かの箱に入れて持って帰ったジュウシマツは、繁殖力旺盛で、最初の産卵で7つか8つ卵を産んで全部がふ化した。藁で出来た巣の中はヒナであふれ、20cmくらいの止まり木に全部が止まっている光景は圧巻だったな。少し大きくなると、人にあげるので、1羽1羽と減って行くのが寂しかったが、それでも先にふ化したものは大きく立派になり、早く貰われていった。しかし、体が小さく、目の周りがつつかれたように傷ついて、弱々しいのは最後どうだったかはっきり覚えてないが、たぶん貰われて行く事無く、死んだような気がする。

 その後、ジュウシマツがいつまでうちにいたか、定かではないが、5年生になって、犬を飼い始めた時にはすでにいなかったから、飼ったのは正味1年間くらいではなかっただろうか。初めはわしらが面白がって世話をしているが、すぐ飽きて来て、最終的に世話をするのはおふくろの役目になってしまうのは、いつものことだった。飼い始めたときのことははっきり覚えているのに、飼うのをやめたときの状況は全く覚えていないし、最初の2羽がどうなったかも覚えていない。とにかく、ジュウシマツはうちで飼った生き物のなかでは、いたって影の薄い存在ではあったな。