無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10518日

 今でも覚えているが、昔日本社会党という政党があって、その政党が自衛隊憲法違反だから、名称を国土建設隊に変えて、武器は取り上げようと本気で主張していた。わしらも子供心に何を馬鹿な事を言っているのかと呆れていた。その末裔の社民党は今でこそ泡沫政党になっているが、当時は自民党と良い勝負をしていたのだから、ちょっと間違えばそれが実現していたかもしれなかった。

 東日本大震災阪神淡路大震災で、自衛隊の持つ災害派遣のパワーを国民は思い知ったが、社会党の言っていた、土木業専門の国土建設隊ではこれだけのことはできなかっただろう。言うまでもなく、自衛隊の本来の主要任務は、外敵から国土国民を守る事で、災害派遣はその中に含まれるものだ。普段から武器を持って命がけの訓練をしているから、有事に動けるので、平時ならともかく、有事に土木業者に命がけでやってくれと言ってもそれは無理な話だ。

 2年前に安倍首相が、殉職自衛官が1800人いると話していたが、他の職場でこれほどの殉職者がいるところはないだろう。その中には兄の友人も含まれている。昭和50年に、山口県の小月基地で訓練中の兄を尋ねて行ったことがあった。小月駅の近くの食堂で2人で晩飯を食べていると、同じく訓練生のDさんがやってきた。お互いあいさつをして、一緒に食べて、ビールも飲んだ。兄は回転翼機だが、Dさんは固定翼機に進むと話していた。当時の対潜哨戒機P2Jというやつだ。

 わしは1人で先に店をでたんだが、出る時にそれまでの支払いを全部すませた。たいした金額ではないんだが、Dさんがびっくりして兄貴に「いいのか?」と尋ねていた。同僚の弟に払って貰ったんだからびっくりするだろう。兄貴は、わしが金を持っているのを知っていたから、いいんだいいんだ、と言っていた。ちょっと困ったようなDさんの顔が思い出される。

 それから1年か2年たった頃、おふくろから電話があり、Dさんが殉職したことを知った。高知県の山中に乗機P2Jが墜落して、乗員全員死亡ということだった。あの時のDさんの顔が浮かんで来た。副操縦士で乗っていたんだが、さぞ無念だっただろう。捜索が行われて全員遺体は回収され荼毘に付された。両親、親族と自衛隊員が遺骨を持って帰る時に、親父とおふくろは港まで見送りに行ったが、可哀相で涙が出たと話していた。

 兄のヘリも一度海上に墜落している。この時は幸いにも全員無事だったが、一歩間違えば死んでいた。毎日兄が無事家に帰って来たらほっとすると、兄嫁が話していたから、相当なストレスだったんだろう。命をかけた厳しい訓練をしているから、有事に訓練通りに動けるということだ。いつまでも憲法違反などと言わせないためにも、少なくとも憲法に規定しなければならないし、さらに9条の改正まですすんでもらいたいものだ。

あと10519日 引き揚げ船の真実

 わしが船乗りになった昭和48年当時、戦後外地からの引き揚げ船を運航した経験のある人達が、まだ現役で船に乗っていた。わしが乗ったCHEVRON所有のR.B.John-sonという10万トンタンカーにも、1人いたのを知っている。この船は乗組員の年齢も若く、船長機関長も30〜40歳代で航海士機関士もみんな20代だったので、年齢的に他にはいなかったようだ。その人の名前も忘れてしまったが、兵庫県小野市に家があると話していた。仮にJさんとしておくが、この人は50歳前後の繰機手で、最初わしと一緒に当直に入っていた。

 Jさんは社員ではなく、海員組合の斡旋で来ていたので、一度下船すると次が無いという不安定な勤務形態だった。それでわしが乗った時、すでに1年以上乗っていると話していたし、わしが下船するときもまだいたから、何年も乗って金を貯めていたんだろう。DIYショップみたいなのをやりたいと話していたから、ひょっとしたら今頃どこかで社長をやっているのかもしれない。

 或る夜の当直中に、そのJさんがわしに引き揚げ船の話をしてくれた。

 着の身着のままで乞食同然の大勢の日本人が、貨物のように詰め込まれて乗ってきたが、ほんとうに気の毒だった。中でも亭主を亡くしたり、はぐれたりした、女性一人の引揚者は危険でもあり、可哀相なものだった。Jさんは所謂ヘイカチと呼ばれた下級船員だったが、それでもノミやシラミに悩まされていた引揚者から見ればあこがれの的だった。風呂も入り、3食たべて、シーツのかかったベッドで寝ることができる。

 或る時Jさんは若い後家さんと知合いになった。というより向こうから近寄って来たらしい。当時こういうことはよくあったことで、それはJさんのような独身者だけではなかった。風呂に入れてやったり、食事も分けてやったり、男物だが下着もわけてあげた。当然ベッドにも一緒に寝るので、Jさんもセックスの処理ができる。仕事中は掃除洗濯もやってくれる。しかも女性の安全も守られる。こうして2人は日本に帰るまで、擬似的な夫婦関係になるわけだ。ギブ&テイクの関係といえばそうなんだろうが、女性のほうも生きるのに一生懸命だったんだろう。

 不思議な事に、その後43年間、戦争関連の本はたくさん読んだが、このようなことを書いた本を読んだ事がない。話として聞いたのもこの時だけだ。戦後の混乱期で、モラルも崩壊していたんだろう。人生の恥部として、みんな忘れたいという思いがあったのかもしれない。

Jさんもご健在なら90が近いと思うが、元気でやっているのかな。

あと10520日

 毎日いそがしく動いていると、自分の人生が充実しているような気がするし、何もしない時間が続くと、無駄に時間を過ごしているような気がして、自分の人生がつまらないもののように思えてくることは、誰にでも経験があると思う。実際はいそがしかろうが、暇だろうが、時間の流れるスピードは変らないし、自分がどう感じようが、社会に何の影響も与えない。自分の意識の中でぐるぐる回って、その中で完結しているだけだ。

 つまり、毎日の生活が、充実していると感じるのも、つまらなく感じるのも、それは意識が作り出している虚構の世界にすぎないのではないか。意識から離れて、自分を客観的に見る事ができれば、朝起きて、様々なことを思考して、やるべき事を完結して、静かに床に付く、これだけで十分充実して見えるはずだ。これを知るだけで、生きる事が楽になると思うんだが、実はこれが一番難しい。

 時々自分でも不思議に思うんだが、1日家にいても別に楽しいことはこれといって何もないのに、それでも朝起きて当然のように1日が始まる。そしてするべき事をして夜になると寝る。この生活というのは、此の世に生を受けて当然のように人生が展開して、するべきことをして死んで行く、という人の一生にも似ているのではないだろうか。家で過ごすようになって、1日1日が以前より大切に感じるようになったのはそういう事かもしれない。

 わしもあれがいい、これがいいと、いろんな事を考えたり、忙しく動き回ったりして、生活費をかせいできたんだが、そのような熱狂を取り払って、客観的に見たとき、結婚して家族を持ち、家族で生活し、子供が自立して出て行き、夫婦2人になり、親を見送り、そして1人になり、死ぬという事実が残るだけだ。そしてこれをまっとうしただけで、十分充実した人生だったといえるだろう。

 自分や家族の健康や安全を神様に祈りながら、争う事無く穏やかに、するべきことをして、淡々と死んで行く事ができたら、これ以上の幸せはない。

あと10521日

 古事記神代巻の音読を始めて、今日で430日目になる。62回読み終わり現在63回目だ。計算上は1回読むのに約1週間かかっていることになる。何があっても必ず1日に一度は本を開くようにしているので、全く読まなかった日は1日も無い。430日毎日読んで来た。だからどうしたと言われればその通りで、読んだからといって別に何がどう変るというものでもない。ただ、古事記は430日前まではまともに読んだ事は無かった。たまに本を開いても、なんとかの神、なんとかの神とやたら出て来てくるので、かったるくなって読み通したことはなかった。

 去年の4月から読み始めても、最初の頃は、すぐに眠たくなったり、気が散ったりして、なかなか読めなかったが、一度に読む量を少しずつ増やして行くようにして、馴染んで行った。もう30年以上も前になるが、ある教祖が『大国主神国避の段』の話をしてくれたことがあった。当時は宗教には興味はあっても、神道に関する基本的な知識もなかったので、何を言っているのかよくわからなかった。そもそもそれが古事記の話だということも知らなかった。

 この時は、話の中で鹿島神宮の建御雷神のことがでてきた時に、この『大国主神国避の段』を紹介して、国譲りの談判に行った武道の神様だということを話してくれたんだと思うが、昔のことなのではっきりとは覚えていない。当時はわしの周囲に、寺の坊さんとか、仏教の学生とかがいて、神道なんていうのは幼稚で、宗教とさえいえないものだという雰囲気が漂っていた。

 しかし、今から思えばそれも半分は当たっているのかもしれない。神道が幼稚だというのは間違っている。神道は決して幼稚ではない。しかし、所謂宗教ではないというのは、間違っていないとわしは思う。教義や戒律があるわけではないし、宗教というより個人個人が、それぞれ自分の生き方に合わせて、試行錯誤をくりかえしながら、正しい道を模索して行くための道程とでもいったほうがぴったりくるような気がする。

 そして、幸運にもそれをさらに一歩進めることができたら、或は古事記の神々との邂逅があるのかもしれない。もし其の時がきたなら、初めて自分の歩んできた道が正しい道だったと自信をもって言えるのではないだろうか。あと10521日でだめなら、続きは来世ということだ。

あと10522日

 今日は朝から親戚の法事に行って来た。わしの祖父と伯父と伯母3人の、それぞれ50回忌、23回忌、7回忌の法事だった。その家の従兄弟に聞いたところ、お布施は3人分渡したらしい。お経は一回ですむので、坊さんにとっては都合がよかったのではないだろうか。来年が祖母の17回忌にあたるので、これも一緒にやってほしいと頼んだら、年が違うので駄目だと言われたと話していた。一回で済んだら施主にとっても寺にとっても都合がいいと思うんだが、そこは程度の問題で、あまり自由にやりすぎて、法事自体が形骸化してしまっては、寺にとってはやぶ蛇になってしまうので、そこらあたりの線引きはしているんだろう。

 今回の法事の案内は、3ヶ月ほど前に電話で連絡があった。忘れないように、すぐにカレンダーに書き込んだが、そのとき女房と、こんなに早い電話案内では忘れる人がいるんじゃないかと、話したことがあった。葉書で来たものなら残るから、忘れることもないと思うが、年をとると、受話器を置いて、ちょっと何かをした拍子に忘れてしまうこともある。今回はまさにその心配が的中した。

 坊さんも来て、そろそろ始まるというのに叔母が来ない。頼まれてわしが電話すると、叔母さん完全に忘れていた。法事があるのは知っていたが、それが今日とは知らなかった、というのではない。法事があること自体を知らなかった。やはり90近いんだから、3ヶ月も前に電話で連絡するだけでは無理なんだろう。手間と金はかかっても、往復はがきで確認するに限る。

 昔は法事に行くと、年寄りから古い話を聞けるのが面白かったんだが、今では昔のことを知っている人も少なくなった。わしが30代の頃、元陸軍通信兵だったWさんがいて、わしはこの人にいろいろ面白い話をしてもらった。わしもモールス信号は多少知っていたのでその話をしたとき、Wさんは、自分等が覚えていたのは数字だけだったと言っていた。「通信兵は暗号文を打つだけで、平文を打つことはない。」軍隊なんだから、言われてみれば当たり前のことだ。実際に戦場で電鍵をたたいた人の話なんか、今では聞きたくても聞くことができない。そういう意味では、法事も昔程面白くはなくなった。

 

あと10523日

 若い頃に、定年退職後は収入が減る分、慶弔費が出費の大きな部分を占めるようになる、というような話を聞いた事があったが、実際わしがその歳になって、まさにその通りだと実感している。慶弔といっても慶事に関しては、もう終わってしまって、わしなんかが呼ばれることはないが、弔事に関してはこれからが本番だ。それに3回忌、7回忌、13回忌と続く法事も結構負担になる。

 今年の11月にはおふくろの13回忌なので、案内をしないといけないんだが、わしはいつも往復葉書を使うようにしている。電話で確認すれば安く、簡単にできるが、わしが葉書を使うのには理由がある。それは、電話で案内されたら断りにくいということだ。高齢になると、向こうにもそれぞれ事情があるだろう。その点葉書なら、理由を書いて投函するだけだから、負担に感ずることがないのではないだろうか。実際わしなんかも、親父やおふくろの関係者の法事はもうやめようと思っていても、電話で直接「○○ちゃん来てや」と言われたら断れない。

 それなら初めから案内をしなければ良いんじゃないかと思ったりもするんだが、それでも、法事は死んだ人のためにやる以上、来る来ないにかかわらず、一応関係者には知らせておかなければまずいだろうと思う事もある。今度のおふくろの13回忌の法事も、何処まで案内をするか迷っている。案内すればみんな来てくれるだろうが、案内しなければ、向こうも知らなかったですむ話だ。甥や姪はやめとこうかと考えたりもしている。

 最初に書いたように、弔事には金がかかるということは、やはり自分が年金生活を始めて実感した。親父の死後、親父がやっていたつきあいをそっくり背負い込んだなかでも、この弔事のつきあいが最も負担が大きいことを知った。不義理なようだが、本音ではこういうつきあいは、できたら減らしてほしいと常に願っている。

 わしがこのように考えていると言う事は、案外、世の中の年金生活者の多くは、同じ事を考えているのかもしれんな。そうだとすると、案内を出さないのも親切ということになるのかな。

あと10524日

 最近暑くなって来たので、部屋の窓を開けることが多くなったからだろうか、午後3時頃になると、どこかからリコーダーの音がよく聞こえて来るようになった。毎日吹いている割にうまくならないのが不思議なんだが、一体誰が吹いているんだろうと気になりだした。2階で、わしの机の前に座って聴いていると、北の方角から聞こえて来るし、1階のキッチンで聴くと東から聞こえてくる。半径50m以内に小学生はいないと思うんだが、ひょっとすると、近所の老人が老化防止のため趣味で吹いているのかもしれない。そう考えると、幾ら吹いても上手くならないというのも納得できるような気がするし、聴いているのも楽しくなる。

 近所に、女房に頼まれて、時々買い物に行く個人商店がある。そこのおばちゃん、と言ってもわしより10歳以上は年上のおばあちゃんだが、ほんとうに静かで穏やかな人だ。その人は、おふくろのことは昔からよく知っていたが、わしらはここ10年くらいのつきあいになる。おふくろとは気があっていたみたいで、買い物に行くと、よくおふくろの話をしてくれる。おふくろもそうだったが、このおばちゃんを見ていても、女性は歳をとっても変らないような気がする。金があればあるなりに、無ければ無いなりに、亭主が元気ならそれなりに、死んでしまえばまたそれなりに、上手く順応して、柔軟に生きて行く智慧を、生活の中で身につけているようだ。

 自分の事は二の次で、子供のことだけを気にかけて、毎日を送って行くなかで磨かれていく智慧は、男なんかが逆立ちしても手にいれることはできないだろう。わしもこの1年、家でいろいろやってきたが、何をするにも、いちいち理由付けをする自分に気が付く事がある。無償の行為だといったところで、決して楽しいからやっているのではなく、それをするためには自分を納得させなければならないということだ。これをやめない限り、世間的にどんな上手い事を言ったとしても、どんなに知識を積み上げたとしても、自分の中に本当の平穏はやってこないだろう。最近わしはこの智慧を磨く事こそが、人生の最終目標ではないかとさえ思えるようになった。