無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9867日

たかだか67年とはいえ、これだけ生きてくると、ちょっと振り返っただけで嫌なこと、楽しかったこと等様々な思い出がよみがえってくる。そんな中で怒りの記憶というものは、時々現れて正常な思考の邪魔をすることがある。

もちろんそれは楽しい思い出ではないし、それで得をしたこともない。思い出したくないことがほとんどだが、おかしなことに、その怒りの矛先はその時の相手ではなく、今の自分に向かっているということに気が付くことがある。

乱暴な言葉を使って相手を威嚇したり、大声で罵ったりするのは、自分が怒っているということを相手に伝えるという意味があるのかもしれないが、怒りとは、周囲で通常発生している波によって、自分の中にさざ波が誘発されただけだと考えれば、それは相手に知らせる必要もなく、自分だけで解決するべき事象だとも言えるのではないだろうか。

そうだとすると、時々現れる過去の怒りの記憶とは、結局自分の問題として自分で処理すべきことを、理不尽に相手にぶつけた記憶ということになり、それに気が付いた時、そんなことをした自分に怒りの矛先を向けることになるのかもしれない。

このことは、自分自身の至らなさや未熟さを再確認させられていることになるのだろうが、この歳になって感じることは、そんなことも含めて、過去についてあれこれ詮索することが、決してこれからの自分の人生を豊かにすることにはならないということだ。

背負ってきた荷物を降ろすだけでいいんだが、それが難しい。

湧き上がってくる過去の経験が人生の残滓のようなものだとわかってはいても、それを捨てることはなかなか困難なことだ。

あと9876日

人ではないとはいえ、家の中に病気の犬がいるというだけで、何となく気が滅入ってくることもある。

元気な頃はそんなに甘えることも無く、毎日を淡々と生きているように思っていたが、体が動かなくなると性格も変わってくるようだ。

毎晩悲しそうになくのも、ただ足が動かないだけでなく、首から下が突然動かなくなったのだから、本人には何が何だかわからない状態だったのかもしれない。

最初の頃は、なき声を聞いても何が言いたいのかさっぱりわからなかったが、1か月もたつと、水がほしい、おなかがすいた、しっこが出た、うんこが出た、しんどい、ただかまってほしい等様々な理由があり、理由無くなくことは無いということが、何となくわかるようになってきた。

今まで側にいてもそれほど意識することも無く、単なる点景として大雑把にとらえていた花子だが、こちらが積極的にしてやらなければ自分では何もできない状態になってしまうと、改めて命を持った一つの生き物として意識するようになった

元気な頃は、抱っこされることもあまり好まなかったような気がするが、今は怒ってないている花子を抱き上げて膝の上に乗せてやると、元気な頃の穏やかな顔に戻って寝てしまうこともある。つらいんだろうなとは思うが、どうすることもできない。

1か月も寝たままでいると、体の筋肉が落ちてきて骨が当たるようになってきた。床ずれを防ぐために2~3時間ごとに体位変換をしなくてはならないのだが、夜は大変だった。

大変とはいってもこれも慣れの問題で、1か月も続くと夜中に起きることにもだいぶ慣れてきた。3時間続けて寝てくれたら御の字だ。花子に合わせてこちらも寝る時間が早くなったので、夜更かしはできなくなったが、健康のためにはそのほうがいいのかもしれない。

まだ希望が無くなったわけではないので、自己流のリハビリも始めてみた。回復すると信じつつ、現実は現実として受け入れて、後は大きな流れに任せるしかないのかな。

あと9896日

花子の足が立たなくなって2週間が過ぎたが、いまだに寝たきりで起き上がる気配はない。爪の間を強く押さえると4本脚とも反応するので、動けるようになる可能性は残っているようだ。

それにしても動物の治療には金がかかる。1回2800円の注射に毎日来るように言われて1周間通ったが、これといった変化もないので3日に1回に変えてもらった。

4日目から薬も飲ませるように言われて、10日分5000円の薬をのませている。

動物用の特殊な薬だから高いのかと思って調べてみると、医師の処方で入手できる人用の普通のジェネリック薬品で、単価11.3円だったのには驚いた。

腕がしびれる病気の人が病院を受診すれば3円で手に入ることになる。

動物病院は儲かるはずだ。

この動物病院は今まで行った中では良心的な病院で、薬代以外は金をとらないので、ある程度は仕方がないかなと納得もしている。

獣医師も、2か月たっても今のままだとあまり見込みは無いというので、少なくともそれまでは通院することになるだろう。

子供らも資金カンパしてくれるのでなんとかなりそうだ。

全快してほしいとは思うが、治らず寝たきりになったとしても死ぬまで介護するという覚悟も決めたので、あれこれ考えることもやめた。

ここのところ毎晩花子が歩いている夢をみている。今朝がたも「はなちゃん、治ったんか?」と声をかけたところで目が覚めた。もう少しみていたかった。

 

あと9909日

2日前の午後3時ころ、犬の花子が突然歩けなくなった。7年前にも後ろ足が動かなくなったことがあったので、いつかは再発するのではないかと心配はしていたのだが。

前回の時は前足は健在で、座ることも、いざって歩くことはできたが、今回は首から下全体が弱っているようで、座ることもできない。

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昨日行った動物病院で、10歳と言えば老犬の部類にはいるので、前回と同じように考えてはいけない。今回は全身にきているので、ひょっとしたら永久に動けないかもしれないし、最悪死ぬこともありますと言われた。

動けなくなる前の夜、布団の中に入れてくれとばかりに鼻を擦りつけてきた花子を、眠たいので入れてやらなかったのが悔やまれてならない。

まだ回復する余地はあると信じたいが、もし死ぬことがあっても花子はうちに来て幸せだったと信じている。花子も一生懸命生きたし、私も女房も、子供たちも家族の一員として大切に思ってきた。

回復を願っているが、たとえ寝たきりになっても、もう少し生きて傍にいてくれるだけでうれしい。

動けない花子を見ているのは辛いが、より長生きをするということは、辛いこと悲しいこともより多く受容しなければいけないということなんだろう。

 

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元気な頃の花子

 

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初めてのカットの日、耳にリボンをつけてもらった

あと9911日

 


つい先日のことだが、ラジオから流れるハーモニカの演奏を聞いていて、うちにもハーモニカがあったことを思い出した。40年ほど前に池袋の西武百貨店で購入したTOMBOBAND  C MAJER ARTIST MODE という立派なもので、箱には3500円の値札が付いている

ネットで調べてみると今なら同程度のものが1万円近くしているから、本給9万3000円のサラリーマンにしては思い切った買い物だった。

どうしてそんなものを買ったのかは覚えてないが、小学校の頃ハーモニカには多少自信があったので、ちょっと練習してかくし芸の一つにでもしようと思ったのかもしれない。

あまり難しい曲は無理なので、日本の詩歌という本を購入してそこにでている文部省唱歌やフォスターの曲なんかを吹いて楽しんでいたが、やっぱりだんだん飽きてきた。

本来ならそこから新しい曲に挑戦して、更にうまくなっていくんだろうが、この飽きっぽい性格はどうしようもない。そうこうしているうちにドの音が狂ってきた。修理にだすことも考えたが、そこまでの意欲もなく結局やめてしまった。

段ボールの底から探し出してきたそのハーモニカを眺めながら、あれから40年間ずっと練習を続けていたら、今頃はたいしたものになっていたことだろうと、都合のよい想像を膨らませてみたが、残念ながら40年の月日は帰ってこない。

小学校でハーモニカを習ったのは2年生の時で、みんなで「春の小川」や「お馬の親子」を吹いたのを覚えているが、3年生になると縦笛のスぺリオパイプというやつに代わってしまって、それ以来学校でハーモニカを吹くことはなくなった。

 それにしても、なんでハーモニカはたった1年で小学生の音楽教育の現場から消えてしまったんだろう。

 直接くわえて吹くものだから、衛生上使いまわしができないことや、目に見える形での指導ができないということもあったのかもしれない。

 縦笛なら指の位置を教えることは簡単だが、子供にハーモニカで吹いたり吸ったりする場所を教えるのは、むずかしいかもしれない。

ハーモニカはそれほど金もかからず、比較的簡単に演奏できるので、再開してみるかな。

 

あと9921日

 年金生活というのは何の制約もないので、気楽と言えば気楽だが経済的にはカツカツだ。少しでも世間一般的な娯楽を求めるなら、その分、他の部分の蛇口を絞るしかない。幸いなことに、そういった娯楽にはあまり興味がないので、それほど無理することなく何とかやっていけている。

 新しいことはネットで見ることができるので、本を買うこともない。また、本が読みたければ、今までため込んだ本がたくさんあるので、それらをもう一度読み返している。何十年も前に読んだ本なんかも改めて読み返してみると、若い頃とはまた違った見方ができて面白い。しかもこれだと金はかからない。

 若い頃から大東亜戦争関連の本もたくさん読んだが、戦争の事実を知りたいという欲求が満たされることはなかった。今になってそれらの本を読みなおしてその理由が少しだけわかったような気がしている。

 自分にとって知りたかった戦争の事実とは戦場の実相だったのか、戦争を経た日本人としての生き方の問題だったのかということを深く考えることをせず、戦場の記録を読むことに終始していた。

 戦争と言えば勝敗は時の運、勝つときもあれば負ける時もある。昨日の敵は今日の友だという思いは多くの日本人が共感するだろう。戦記を読んでも、残念だ、軍隊は理不尽だという思いはあっても、今更アメリカ人やイギリス人を憎むという気持ちにはならず、またそれが当たり前だと思っていた。世界にはこの考えが通用しない人たちがいるということに気が付かなかった。

 戦後半世紀もたった頃から、戦史も出尽くした感があり、歴史としての戦争は次第に遠ざかっていった。同じように感じていてた人も多かったのではないだろうか。その虚をつかれたといえるのかもしれない。昭和20年代生まれの責任でもある。

 事実かどうかということは関係なく、優位に立つための道具として歴史を利用されてしまったようだ。

 これをただすのにまた50年かかるのかもしれないが、一歩も引くわけにはいかない。

 昭和20年8月15日に、武器を使った太平洋戦争は終わったが、大東亜戦争はまだ終わってない。今も一日一日新しい戦史が書き加えられているといえるのかもしれない。

 

 

 

あと9932日

 誰でも幸せになりたいと一所懸命に生きているはずだが、幸せになれる人もいればそうでない人もいる。幸せとは何かということは、置かれた状況や考え方で、人それぞれ違うと思うが、それらをすべて受け入れるということで精神の平衡を保っているといえるのかもしれない。

 これは来島海峡大橋が開通した頃のことだから、もうかれこれ20年近く前の話だ。その頃、夕方仕事の帰りにはいつも近所のMさんの家の前を通っていた。

 ある日の夕方、何気なく通り過ぎていたMさんの家の前に、半袖のワンピースを着た小柄なおばあさんが、犬を連れて寂しそうに立っているのに気が付いた。

 その日から毎日、来る日も来る日も何をするでもなく、ただ立っているおばあさんの姿があった。不思議に思って、当時健在だった母に聞いてみると、その人はMさんの奥さんだった。

 母は「あそこも大変なんよ。」と言ったが詳しい話はしなかったし、それ以上こちらからも尋ねなかった。家庭内でいろいろあったようだ。

 それから10日ほどたった頃、突然おばあさんの姿が見えなくなった。犬だけがぽつんと駐車場の片隅に佇んでいた。その日以来Mさんの奥さんは、長男である自身の連れ子と一緒に、杳として行方がわからなくなった。

 それからどのくらいたったのか忘れたが、母からMさんの奥さんの遺体が発見されたという話を聞かされた。長男と二人で死のうと、車で来島海峡大橋へ向かったMさんの奥さんは、どうしても死にきれなかった長男を残して一人で飛び降りたらしい。

 橋まで一時間半ほどの間、二人でどのような会話がなされたのだろう。長男の小さい頃の楽しかった思い出話しをしたんだろうか。そして二人で笑いあったんだろうか。最後にどのような別れをしたんだろう。

 既にMさんも亡くなり、家は人手に渡っているが、その家の前を通るたびに寂しそうに立っていたおばあさんの姿が思い出される。

 死は現実からの逃避だとは思わない。現実への絶望だけでも死ねないと思う。死へ突き動かすのは絶望の先にある希望なのかもしれない。