無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9248日 レーザープリンター

64歳で次年度の契約を断ってサラリーマン人生を終了したが、いろいろ困る事もある。セコイ話だがプリンターもその一つだ。有り難いことに職場のプリンターはインクジェットもレーザーも自由に使えたので、家では持ったことが無かった。ところが仕事をやめてしまうとそうはいかない。仕方ないので一番安い白黒レーザープリンターを購入することにした。

購入したのがブラザーHL-L2320Dという、その時ケーズデンキオンラインショップで8187円で売られていたプリンターだ。もっと安いところもあったが、修理のことを考えて近所に実店舗のあるケーズデンキを選んだ。

このプリンター、印刷スピードはめちゃくちゃ遅いが、この値段にしてはきれいにプリントできる。その後の町内会長や民生委員などで必要な資料をプリントするのに非常に役に立った。自分でいうのもなんだが、祭り関係の資料なんかは過去20年ほどの中では最高の出来だったのではないのかな?

しかし、今年の3月くらいから縦に白い線が入り、色も少し薄くなってきた。ネットで調べていろいろやってみたが、一向に回復しない。仕方ないのでそのままの状態で使ってきたが、どうせ配布するならやはりきれいな資料を配布したい。そこでドラムを交換してみることにした。

純正品は高いのでチップスというところでDR23Jドラムユニットのリサイクル品を購入して使ってみたがなおらない。そこで原因はトナーカートリッジかもしれないと、以前交換したが廃棄方法がわからないので段ボール箱に詰め込んでいた古いトナーカートリッジを取り出してきてセットしてみたところ見事に回復した。結局去年交換した純正品のトナーカートリッジが原因だった。

ずっとバカ高い純正品を使ってきたのは、こういう時のためだとばかり、早速メールで問い合わせてみた。

要求された通り、シリアルナンバー、購入証明書、printersettingsをメール添付で送って、どんな返事が来るか、別に期待もせずに待っていると、予想通りの返事が来た。

1.トナーが外箱記載の製造日から2年以内という保証期間を過ぎているので劣化もある。

2.トナーをほとんど使用している。

3.自分で新しいのを購入してくれ。

次は想定外だった。

4.以前のトナーが使えるならそれを限界まで使ってくれ。

これは大きなお世話だ。

たかがトナーカートリッジだが、おそらくトナーの劣化ではなくてカートリッジの不良だと思っている。現にもっと古いトナーでもきれいに出力できているんだから、話が矛盾している。それを限界まで使ってくれと言われてもな。

まあ、コールセンター○○さんにも手間を取らせたので、お礼を言って終わりしといたが、純正品以外を使用すると保証しないとかいうなら、純正品使用者にはもう少し便宜を図ってもいいのではないのだろうか。たかがトナーカートリッジとはいえ、使い切る前に異常が出るのはアウトだろう。

せめて、原因を調べるので送ってくれぐらいは言ってほしかった。

なんかの本で読んだが、昔サハラ砂漠ロールスロイスが故障したとき、その修理に技術者がヘリでやってきた。その後いつまで待っても請求書がこないので、そのオーナーがロールスロイス本社に請求書を送るように連絡をした。そして数日後手紙が送られてきた。そこには「ロールスロイスは故障しません。」と書かれてあった。

イギリスもダメになったが、チャイナに依存するようになって日本のメーカーもダメになった。

あと9256日 キレる老人

このブログを書き始めて4年半ほどになるが、今までに「あと10911日」「あと10848日」「あと10827日」の3回、「キレる老人」を見て笑ってきた。そんなことをしていたので天罰が当たったのかどうか、なんと今回はその当事者になってしまった。さんざん怒鳴り散らされたが、いやはやなんとも、もう笑うしかなかった。

相手は私より少し年配というところだろうか。70代前半くらいかな。その日は女房の母親を一年ぶりに大学病院に連れていく日だったので、朝9時前には病院玄関で女房と母親を下ろし、車を止めるために第2駐車場へ向かった。

第1駐車場をつぶして駐車場増設工事が行われているために、第2駐車場もいっぱいで、車があふれていた。3回ほど回っても止める場所がなかったのであきらめて少し離れた第3駐車場へ行こうとしたとき、ちょうど出口あたりに止めてあったトラックが動き出した。

自分の車が一番近い位置にあるので、これはラッキーとばかりにバックでその場所に車を停めた。その時に白線の外側に一人の老婆が立っているのが邪魔でしょうがなかったので、窓を開けて「そこにいたら危ないですよ」と声をかけて気を付けて入れた。

その時だった。右方向から一台の軽4がすごい勢いでこちらへやってきて、すぐ前に停まるやいなや、勢いよくドアを開けて一人の老人がすごい剣幕で現れた。何事かとこちらも窓ガラスを全開にして様子をみていると、大股でこちらへやってきてドアに手を置いて目を吊り上げて凄んできた。その通り正確に書くと「こりゃー、おまえなんでそこに停めとるんじゃい、そこはわしが停めるとこじゃ、のかんかい。はよのけ」

まるでチンピラだ。どうやらこの場所を譲れと言っているらしい。どこに停めようが大きなお世話だ。見た感じ、身元はしっかりしているようにも感じたが、よくわからない。この状態で窓越しに手を出されたら、常磐道であった煽り運転事件と同じ状態になってしまう。ケガしてもさせてもいけないので、さっさと窓ガラスを上げた。すると相手はあっさりと車に帰った。これはあきらめたかと思っていると、じいさん、こちらをにらみながら盛んに手を振って、出ていけという所作をしている。

その時、ふと先ほどわきに立っていた老婆のことを思い出した。そして、ひょっとしてあの老婆が場所取りをしていたつもりだったのかもしれないということに気が付いた。こんな込み合った公共の駐車場で、車もなしに駐車スペースを確保することが許されるのか、はなはだ疑問だったがとにかく降りて話を聞いてみることにした。

近づくと最初少し驚いたようだった。「よくわからんのだが、いったいどういうこと?」と聞くとその老婆が「この場所をとっとったのに~。」といかにも恨めしそうに言うので思わず笑ってしまった。年寄りが黙って白線の外に立っていたところで場所取りにもならんだろうに。

まあこの老婆が場所取りしていたというのならそれでいい。「ああ、そういうことなん。それなら譲ろうわい。怒らずにちゃんと説明してくれんと何のことかわからんよ。」と言って車に乗った。車を出しながら、先ほどの老人に手を振ると相手も返したきたから、この時は自分の短気を少しは反省していたのかもしれない。それならいいんだが。

キレる老人も見ている分には面白いが、相手にするのはかなり疲れるということがよくわかった。

あと9267日 アメリカ大統領選挙

ネットから情報を集めていると、今回のアメリカ大統領選挙が正しく行われたとは思えないんだが、当のアメリカ人はどう思っているんだろう。

本人確認もできない郵便投票。選挙は民主主義の根幹であり、スタートであるはずだが、本当にこんなのでいいんだろうか。民主主義の権化のようにふるまい、全体主義国家をたたいてきたあのアメリカが、自分たちの大統領を選ぶ一番大切な選挙がまともにできなくなっているというこの現実をどう見たらいいのか。

冗談ではなく、次回からはジンバブエのように国連の選挙監視団をいれて監視してもらう必要があるのではないか。

バイデンが過半数をとったと大手メディアが宣言して、バイデンは政権移行の準備にはいったらしい。トランプは裁判に訴えて引く気配はない。当選を大手メディアが決めるのだろうか。そんなことはないだろうが、とにかくこの選挙制度はわかりにくい。

学生の頃何かの授業で「アメリカ合衆国の政党と選挙」という高い本を買わされたことがあったのを思い出した。さっそく本箱を探してみたらまだあった。捨てられない性格というのも困ったものだ。大統領選挙のあたりを読んでみようと試みたが、情けないことに文字が小さすぎて読む気もおこらなかった。あの頃は別に苦にもならなかったはずだが。

しかし、アメリカの現職の大統領が、選挙に不正があったと裁判をおこしているのに、まるでそんなことなかったかのように、SNSからすべてのメディアが無視して、とっとと既成事実化しまうというのも民主的なやり方ではないだろう。

民主主義の根幹である大事な選挙が、外国に干渉されたかもしれないというのに、それに蓋をしてバイデン勝ったトランプ負けたとお祭り騒ぎをしているアメリカ。大事な選挙を虚仮にされたかもしれないとしたら、ここは本来怒るべき状況だろう。ひょっとしたらアメリカもここまでか。アメリカだけではない、行き過ぎた民主主義そのものが破綻に向かっているのような気がしている。

70年ほど前に、あの宋美齢にコロッとやられてしまったくらいだから、もっと巧妙な現在のチャイナにかかったらひとたまりもないのかもしれない。誰が勝ったかということよりも、民主主義国家としてのアメリカが信用できるのかどうか、それが問われているということに肝心の政治家が気付いているのだろうか。

あと9277日 旅に出たい

定年退職してからまる8年たち、今年4月から9年目に入った。退職後再雇用を4年で辞めて、毎日が日曜日になったわけだが、月日が経つのは早いものだ。

9年と言えば小学校入学から中学卒業までになるが、それは途方もなく長い時間だったように記憶している。この加速された時間の流れの中では、残りの時間などあっというまに過ぎてしまいそうだ。

再雇用の4年間で全国神宮神社参拝の旅と称して、北は平泉の高館・宮城県鹽竈神社から南は宮崎神宮まで青春18切符で旅をしたことがあった。3年手帳を見ながらその跡をたどってみると、よく行ったものだと我ながら感心してしまう。

こんなわがままな旅は一人だからできるのであって、人と一緒だったら必ずどこかでけんかになり、お互いが嫌な思いをするに違いない。それは日常の世界だけで十分だ。旅とは日その日常から離れたものでなければ意味がないと思っている。

旅とは、なにげなく過ぎ去ってゆくときのながれに打ち込まれた一本の杭なのかもしれない。

そんな旅も、コロナと膝の故障のおかげで遠のいている。コロナはいずれ納まるが、膝は如何ともしがたい。つい3週間ほど前になるが、近所の公園の剪定作業を手伝っていて、一気に悪化してしまった。毎日5000歩どころか、数日はまともに歩くこともできない状態だった。

自由に歩いたり走ったりできるということがどれだけ有り難いことだったか、改めて気が付いた。近頃は少し回復して、サポーターを巻いてゆっくりなら歩けるようになった。このサポーターにもいろいろな種類があり、何種類か試してみたが、百均で売っているものでも十分役に立つということがわかった。ダメもとで買ってみたが、まさに百均恐るべしだ。

今年は無理でも、来年の春あたりには百均サポーターともおさらばして、奈良大和あたり歩き回ってをみたいと思っている。

あと9282日 軍人は要領を本分とすべし

両親が健在だった頃のことだから、20年近く前のことだ。年末に両親と3人で墓掃除をしていると、白髪の体格のいい老人が近くを通りかかった。知らない人だったのでそのまま作業を続けていると、突然その人が駆け寄ってきて父の名前を呼んだ。

それに気が付いた父は「おう」と声をあげてそちらの方に走っていった。どうやら同じ部落の出身者のようだ。しばらく二人で話してそのまま別れて行った。父は農学校をでてすぐに朝鮮にわたったし、同世代の多くは戦死しているので、とくに老年になってからは同じ部落の人にも親しく話す人はほとんどいなかった。

そんなこともあって、けっこう長い時間話をしていたその人が誰なのか、ちょっと気になり、再び作業にかかった父に尋ねてみた。

父は「ああ、あの人か。母屋のMさんよ。」と言って、さらにつづけた「あの空挺団のMさんよ。」ここで私もあの有名な元陸将かと気が付いた。こちらでは親戚でも母屋とか上とか下とかいろんな言い方があるので未だによくわからないが、このMさんはうちの母屋にあたる家の人らしい。

Mさんのことは小さい頃からよく聞かされていた。陸軍士官学校をトップで卒業して少尉の時には連隊旗手をやっていたらしいから、かなりのやり手だったようだ。戦後陸上自衛隊にはいって最後はどこかの師団長で終わったから、潰しのきかない旧軍関係者のなかでは、戦後を無事にうまく生きてきた幸運な人だともいえるのかな。

このMさんがこの地方で有名なのは、どこかの師団長としてではなく、その前の習志野第1空挺団長としてだった。ウィキペディアにも名前がでているが、実は本人も一番これになりたかったそうだ。

というのも、このMさんは、空挺生みの親と言われる初代団長の衣笠陸将の部下として空挺団創設に携わった中心メンバーのひとりだった。だからどうしても一度は団長をやりたかったんだろう。そしてやっとなれたと思ったら人生うまくいかないもので、訓練中の事故の責任をとって、残念ながら任期途中で辞めざるを得なくなってしまった。

この辺りまでは若い頃から聞いていたので、なかなか立派な軍人らしい軍人だったような印象を受けていた。

ところが墓掃除も終わって家に帰ってからだっと思うが、Mさんに関して、父が違った話を聞かせてくれた。このMさんは戦後地元ではすこぶる評判が悪かったらしい。自衛隊で華々しく活躍していたMさんにとっては、郷里の不評など歯牙にもかけなかったと思うが、その不評の理由というのがおもしろい。

Mさんのいた部隊に兵隊として配属された同郷のHさんとしておこう。上官に顔見知りのM中尉がいることに気が付いたH二等兵はたいそう喜んだ。これですこしは目をかけてくれるだろう。そう思ったHさんはMさんに声をかけた。ところがどうだろう。目をかけるどころか、事あるごとに人以上にひどいめに叩かれたらしい。

これがHさんだけではなかった。Mさんと関係した同郷の兵隊でひどいめにあわされていた人がほかにもいたらしい。

Hさん曰く「このMさんがかわいがっていた兵隊はどのような人かというと、大地主の息子、大企業のの社長の息子、資産家の息子とか、とにかく自分に役にたちそうな人種で、同郷であろうが貧乏百姓の倅なんか眼中になかったのよ。軍人は要領を本分とすべしを身をもって教えてくれた、とんでもない男だった。」

父からこの話を聞いて、Mさんの戦後の出世もひょっとするとこういうことだったのかと、自分の中でMさんの評価が音を立てて崩れていったのが懐かしい。

あと9296日 1230クダコ水道通過

「あと9355日 過疎の島」で、女房の叔父が、目の前のクダコ水道を通る戦艦大和を見たことがあると話してくれたことを書いた。そのブログを書いてから、本当に連合艦隊が柱島への入出港時にクダコ水道を通ったのか少し気になっていた。

そこで先日、20年ほど前に購入した、原書房版宇垣纒の戦藻録を引っ張り出してきてどこかに記録がないかと探してみた。恥ずかしながら、この本はミッドウェー作戦の図上演習に関する部分しか読んでなかったので、新品同様だ。

その中に、開戦前に旗艦長門で佐伯湾から柱島に帰ったときの航路、ミッドウェーからの帰ったときの航路等に関しての記述があったので紹介する。

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「昭和16年11月19日 水曜日 晴 戦艦長門

昨夜半、急雨ありたりと云ふも、本日は晴れて気持ち良し。8時45分、出港。怒和島水道を珍らしくぬけて、柱島錨地に入る。日没時、中央浮標に繫留。」

この時は連合艦隊参謀長として戦艦長門だった。大和はまだ公試中。怒和島水道はクダコ水道の反対側、津和地との間の水道だ。珍しくとあるから、ここはあまり使われてなかったんだろう。

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「ミッドウェー作戦出撃、昭和17年 5月29日(金)晴」戦艦大和

航路については記載なし

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「ミッドウェー作戦後、昭和17年 6月14日(木)雨霧 戦艦大和

黎明時の状況陸地方面視界不良を思はしむるものあり、水偵による哨戒を取り止む。其内視界一層不良、無線方位測定も思ふに任せず、水深暗澹、佐伯空飛行機の位置通知等に依り、終には半速迄落として沖島の位置を探り、やっと発見して十時東水道に達す。速吸瀬戸附近及び濃霧、クダコ水道か釣島水道かといろいろ変更し乍ら釣島を抜けて七時柱島錨地に無事入泊す。」

レーダーのない大艦隊の霧中航行は大変だったようだ。しかも負け戦だ。沖ノ島が目印だったようだが、よく利用した宿毛湾泊地への侵入経路だったんだろう。そこから速吸瀬戸を抜けて濃霧の中でクダコ水道か釣島水道か迷った挙句、広い釣島水道を抜けて中島を回って柱島へ向かったということか。

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「ソロモン方面作戦支援のため柱島出港 昭和17年8月17日(月)小雨 戦艦大和

1230 七駆春日丸を併せて出港、クダコ通過1800佐田岬16節にて水道に入り五日の月入る十時沖島東方水路より外海に出撃す。」

この時はクダコ水道通過とあるので、間違いなく叔父の家のすぐ前の海を戦艦大和が通ったはずだ。しかし叔父は昭和15年か16年の生まれだから、さすがにこの時のことは覚えていないだろう。

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昭和18年5月8日トラック発、13日柱島泊地到着の時

昭和18年8月18日呉発、23日トラック到着の時

昭和19年1月10日トラック発、13日柱島泊地到着の時

 

昭和19年4月21日呉発、26日マニラ到着の時

航路の記載なし

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昭和19年6月23日中城湾発、28日呉到着の時

「遊撃部隊は1Sの他怒和島水道を通過、1Sは分離して1900クダコ水道を通過す。正に憩潮時にして全く潮無き珍しき通狭なり。瑞鶴は先を急ぎて途中より追越せり。」

通過は夜だからこの時ではない。

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昭和19年7月8日呉発、16日リンガ泊地到着の時

「7月8日(土)薄曇

0845大和武蔵を率い出港す。ツリム積み荷の為不良回頭に多大の時間を要したり。クダコ水道を1230通過」

3~4歳になっていたはずだから、この時の可能性が高いと思う。

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昭和19年11月16日ブルネイ発、24日呉到着の時

航路の記載なし

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昭和20年4月6日徳山沖発、沖縄特攻の時

航路の記載なし

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若き日のN少年が、山の上のスカイ畑で血沸き肉躍らせて歓喜の目で眺めていたのは、昭和19年7月8日、0845呉を出港してリンガ泊地へ向かった大和武蔵率いる連合艦隊が、1230、威風堂々クダコ水道を北から南に抜けていったその姿だったのではないだろうか。それはすごい光景だったことだろう。

あと9308日 録画機能の効果

今朝は久しぶりに早く目覚めたので、録画した半沢直樹最終回を見てしまった。現実離れしていて馬鹿馬鹿しい一面もあるが、暴れん坊将軍水戸黄門大岡越前にも通じるところがあり、これだけ話題になるということは、やはり日本人には勧善懲悪が似合っているのかな。

一年前にテレビが壊れた時、東京オリンピックもあるので奮発して、50インチの録画機能が付いたやつを購入した。見逃したオリンピック種目を後から見るの役に立てばいいかな程度の軽い気持ちだったが、実際に使ってみると結構役に立つ。

民生委員で訪問している高齢者の方が、ケーブルテレビではCMが無いので、暴れん坊将軍鬼平犯科帳も1話が40分ほどで終わってしまう、これが効率的だと話していたが、これと同じことだ。

CMを飛ばすだけではない。驚愕映像などと言って、ネットで拾った映像を使ったお手軽番組なんかも、その映像部分だけは見るが、大口を開けて笑っているだけの芸人が出てくる部分までもすっ飛ばしている。実に効率的だ。番組に間に延々と流されるあのCMも金をかけて作っているんだろうが、みじめだな。

国民はなんとなく、ただで民放テレビを見ているように思っているが、広告宣伝費の一部は商品の値段に上乗せされているのだから、決してただではない。その上乗せ分を国民みんなが負担しているということだ。

多くの人が録画して見るようになると、すっ飛ばして見てもらえないCMに金をかけているスポンサー企業は詐欺にあったようなものだし、一般国民もそんなCMの為に商品の値段が高くなるのは勘弁してほしい。

費用対効果が厳しく吟味されるようになり、放送局以外みんなが損をしているとわかるようになれば、スポンサー企業も株主の突き上げが厳しくなっているので、今のような野放図な支出は困難になるだろう。案外この録画機能が、今の放送界のビジネスモデルを破壊してしまうのではないだろうか。

地デジ化が叫ばれていた頃は、これが進めば地方の民放が炭焼き小屋になるとまで言われていたが、実際にやってみたら既得権益者に骨抜きにされて何も変わらなかった。デジタル化したんだからできることはいっぱいあるはずだ。携帯電話だけなくNHKも含めてそこらあたりの既得権打破は、菅総理に期待したいところだ。