無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9538日 豪華船クルーズ

近頃は朝から晩まで、同じ人が入れ替わり立ち代わり出てきてクルーズ船の話をしているが、見ているほとんどの人にとってはいい加減食傷気味ではないのかな。大事な問題だといえばそうなんだろうが、本来感染力の高い、治療法のない伝染病の蔓延を防ぐには、患者を隔離するしか方法は無いんだから、他にどうしようもない。

毎日船の近くにカメラをすえていったい何をやっているんだ。

幸い船というのは隔離施設としては最適で、もし陸上施設で3500人もの人が一度に集団感染したら、その後はパンデミック一直線だろう。

マスコミが言っているだけで、嘘かもしれないが、乗客が厚労省記者クラブに、シーツ交換をしてほしいとか、いろいろ不満を訴えたらしい。これが本当ならあきれたもんだ。まともな常識ある成人の考えることではない。

皆さんはすでに豪華クルーズ船のお客さんではない。気の毒ではあるが、自分で遊びに行って病気にかかったか、或いはかかった可能性のある人達だ。その人たちが寝たシーツの交換を税金を使って誰かにやってほしいということなのかな。今回は、日本人が多かったので、日本政府が火中の栗を拾う形で横浜入港を認めたが、当然認めないという選択肢もあった。

ネット上では、これも嘘かほんとかわからないが、アメリカ人がトランプ大統領に救出を頼んだという記事があった。バカバカしくて涙が出そうだ。本当にアメリカが軍用機ででも助けに来ると思ったんだろうか。どうせなら、横浜で燃料と食料を補給してグアムでもハワイでもサンフランシスコでも、アメリカの港に入港させろと頼めばよかったのに。

残念ながら、日本船籍でもないし、所有者も外国人で、日本とは関係ないのにも関わらず、入港させて面倒を見てくれる甘い国は日本だけですよ。どこの国でも来てほしくはないのよ。

自分も含めて、みんな忘れていただけで、昔から船にはこんなリスクはつきものだった。所謂幽霊船というやつだ。子供の頃読んだ海や船に関する本の中にも幽霊船の話はよく出てきた。

人が死に絶えた船というのは、おそらく今回のような未知の細菌やウィルスに全員がやられたものだろう。通信手段のない帆船時代にはよくあった話しなのかもしれない。今回の場合もその時代なら、乗組員も乗客も全員が感染して死に絶えるまで太平洋を航海することになったんだろうな。

豪華客船クルーズなどと言えば聞こえはいいが、何千人もの人たちが、密閉され、隔離された社会で長期間共同生活しているに過ぎないと考えれば、そこには様々なリスクは存在するのが当たり前で、今回その中の一つが顕在化したということだろう。

小金を持ったじじばばも、豪華船クルーズなんかしてないで、外国人の来なくなった国内観光地で金をおとしてあげることを考えたらどうなんだろうな。

まぁ、食うや食わずの年金暮らしでは夢のようなはなしではあるが。

あと9546日 メガネの値段

3年前に作った遠近両用メガネのレンズに曇りのようなものができて、拭いてもそれが取れないので、昨日、購入したメガネ店で見てもらった。そこは安売りのチェーン店ではなく、この地でも長年商売している、広島に本社のあるメガネのTという、しっかりとした会社の店舗だった。

12年前に初めて作った遠近両用メガネは、弐萬圓堂というなんでも二万円というのが売り物の店だったが、東日本大震災による店舗網縮小の影響で、近所に数店舗あった店は全部なくなってしまった。聞くところによると、気の毒なことに従業員は全員解雇されたらしい。

その時作ったメガネは今でも問題なく使えるから、2万円は良心的な価格で、いい商品だったのではないだろうか。そんなこともあって、昨日メガネのTの店舗に行くまで、当然メガネは10年くらいは使えるものと信じて疑わなかった。

ショッピングモールの一角にあるTの店舗で、持って行ったメガネを調べてもらったところ、コーティングが剥がれているので、修理はできないと言われた。すでに寿命がきているらしい。

しかし、普通に使っていて、たった3年弱で寿命が尽きるとは驚いた。レンズ自体決して安かったわけではない。弐萬圓堂ではフレーム、レンズで二万円だったが、ここではレンズだけでそれ以上出している。

ざっと計算してみると、この3年で1000円/月以上支払っていることになる。

普通メガネは度が変わらない限り長期間使えるから、多少高くても売れるのだと思うが、それが3年しか使えないとしたらどうだろう。

この店で作り直したら多少の割引サービスは無いのかと尋ねてみたが、購入日から1年を過ぎると保証はないということだった。

釈然とはしないが、そう決まっているのなら仕方がないということで店を後にした。

3年使ったと言っても正味2年半くらいだ。それに何万円もかけるほどの余裕のある人はそんなに多くないと思うが、メガネの世界ではそういう商売が通用しているということなのかな。客は安売りの店に流れるはずだ。私も、もう二度とメガネのTで買うことはないだろう。

店員と話しているうちに、もう一つおかしなことに気が付いた。メガネ屋ではコーティングを勧めるが、そもそも単層のメガネレンズにコーティングが必要なのかということだ。コーティングさえしなければ剥がれることはない。

例えばメガネ屋は、紫外線が有害だから白内障予防のためにカットしたほうがいいと説明するが、殊更紫外線カットのコーティングをしなくても、素通しのガラスやプラスチックでも有害な短波紫外線はカットできる。

なぜメガネを買う段になると急に紫外線の害を言い出すのか。

メガネ屋の言う通りなら、メガネをかけてない人たちは常に白内障になる危険に曝されていることになる。それならなぜ厚労省は国民全員にメガネをかけて、紫外線をカットするように言わないのだろう。

メガネ屋が紫外線カットや様々なコーティングをするように勧めるのは、他の目的があるのではないのかな。

あと9552日 安いには理由がある

スマホは、今話題のファーウェイを使っている。理由は性能のわりに値段が安いということに尽きる。と同時に実際この製品がこの値段でできるわけないだろうとも思っている。

共産党一党独裁国家だから、かなりな補助金も出ているに違いない。最近やっとアメリカが言い出したが、公平ではないだろう。釈然としないものは残るが、ユーザーとしては安いのはありがたい。

iPhoneは高いし、韓国製は使わない。残念なことだが、すでに日本製品に存在感は無いに等しい。そうなると選択肢は限られてくる。

そんなわけでHUAWEI nova lite2を使っているが、先日不思議なことがあった。

この端末は指紋認証と顔認証ができることになっているので、普段は指紋認証を利用してセキュリティーを管理している。嘘かほんとか知らないが、HUAWEIは端末から情報を吸い上げると言われている。そうだとしても、人差し指一本の指紋情報なら、たとえ抜かれてもそれほど問題はないだろうと思っていた。

しかし、チャイナは全国民を顔認証しているらしいので、その中に自分の顔情報をプラスされるのは勘弁してほしい。そう思って顔認証は使って無かった。

ところが驚いたことに、ある朝起きてスマホを手に取って、画面を見ながら指紋認証しようとした時、それをする前に画面が開いてしまった。画面を睨んだだけで開いたということだ。

これはおかしいと思って調べてみると、なんと夜寝ている間に顔認証システムがオンになって、勝手にスマホ内にある自分の顔写真が使われていた。

スマホ内には他の人の顔写真もたくさんあるのに、どうしてその一枚が私のものだとファーウェイさんが知ったのか。これは不思議だ。

チャイナには10億以上の人がいるので、スマホの向こうから人海戦術で日本人一人ひとりの顔を収集しているのかとも思ったが、まぁそんな非効率なことはしないだろう。

結局結論としては、私の写真は「わし」というフォルダーに入れていたことかもしれないと気が付いた。ファーウェイの盗み見ソフトが、「わし」=「中四国あたりで男性の1人称として使われている言葉」と理解して、その中にある顔写真をスマホの持ち主の顔だと認定したのではないだろうか。

いずれにしても、ファーウェイが私のスマホの中をゴチャゴチャといじくっているらしいということはわかった。この値段で提供しているんだからその対価ということなのかな。

個人のスマホなんかは大したことはないが、大事な情報を扱うところはやめたほうがいいような気がしている。一事が万事で何が起こるかわからない。とにかく次回購入時には、中華スマホはやめておこう。

あと9558日 死ぬこととは

死は誰でも一度しか経験できないがゆえに、死の評論家はいても死の専門家は存在しない。僧侶や神父、神主に聞いたところで誰も知らないし、ましてや宗教学者などにわかるわけがない。

そもそも宗教とは死の恐怖から逃れるためにできたようなものだ。しかし、死とは何かということはだれにもわからないのだから、宗教に答えはない。それでも見えない鉛筆を買い求める人が後を絶たない。この人たちは一体何を求めているんだろう。

そもそも、死はそれほど忌むべきことなのだろうか。死なないということは、今の状態が永遠に続くということで、それはそれで恐ろしいことだ。

なんかで読んだことがあるが、赤塚不二夫が、なぜそんなにたくさんの漫画を描くことができたのかと聞かれた時、それは締め切りがあったからだと答えていた。逆に言えば、締め切りのない世界にいたら、赤塚不二夫はあれだけの漫画を創造できなかったということだ。

生き物はすべて死ぬということは、これと似たようなことではないのだろうか。人生には締め切りがあり、締め切りがあるからこそ懸命に生きることもできる。そして締め切りがあるからこそ、一つの作品として一度しかない人生が浮かび上がる。

そう思えば、死はそれほど恐れることもないにかもしれない。決して望みはしないが、来るなら仕方がない。まぁ、こんなことが言えるのも、人生あと9558日となり、ある程度見通しがつくようになったからかもしれない。

年をとると時間が早くなるとはよく言われるが、先日二男と話していて気が付いたことがあった。

30歳になる二男にとっては30年前は遠い昔のことだ。しかし、一緒に過ごしたこの30年と、それ以前の30年とでは、私にとって時間の速さが明らかに違っている。

新しい時間軸ができた途端に、本来の時間軸は全体が凝縮されていくということかもしれない。或いは、縮尺が変わって、すべてが近づいてくると言えるのかもしれない。そしてそれがゼロとなる時が、終わりの時になる。その瞬間にすべてを見て、知るのかもしれない。

死の瞬間の父の目の輝きは今でも謎だ。私はそれを見た時に、死はそんなにつらいことではないのではないかと感じた。この時、父も自分のすべての人生を一瞬に凝縮して見たのかもしれない。そして良かったと思えたに違いない。

あと9566日 平和の代償

うちの近くにも平和通りという大きな通りがある。終戦後できたもので、片側2車線で広い中央分離帯があるから、相当思い切って作られたものだろう。同じような平和なんとかという地名は、全国各地にたくさんあるが、おそらくそのほとんどは昭和20年代に命名されたものだと思う。

幸いなことに、日本国内は周囲の喧騒をよそに、表面上は平和に75年が過ぎた。そして多くの人が、日本国民が望めば、「平和」は未来永劫自分たちに与えられた権利だと錯覚してしまったようだ。

この資源もない日本で、国内にはものがあふれ、欲しいものはなんでも手に入るし、道路はどこへ行ってもきれいに整備されている。こんな生活がなぜできるのか考えることもなくなった。この状態も未来永劫続くと、何となく思っている。

これを傍から客観的にみれば、馬鹿じゃないの?と思われても仕方がないと感じるのは私だけではないと思う。

今中東で起きていることは、今回なんとか治まったとしても、いつか必ず暴発するだろうことは誰にでも予測がつくところだが、その時までに石油の中東依存度を下げておくとともに、石油火力発電からの脱却もやっておかないと、今の生活は吹っ飛んでしまうだろう。

昭和49年に、ニューヨークからペルシャ湾にあるイランのカーグ島まで2往復したことがある。当時は第4次中東戦争の影響でスエズ運河が閉鎖されていたので、アフリカ南端の喜望峰回って、しかも経済速度で減速運転していたため、片道40日かかった。2往復したら1年の半分が過ぎてしまった。

雪の降るニューヨークを出港し、40日で春夏秋冬を経験しながら、灼熱のペルシャ湾に到着、24時間ほどで油を満載して、休む間もなく再びニューヨークへ向かって出港だ。朝起きて会社に行って夜になると家で家族と団らんなどという、人間的な生活とは無縁の環境だった。

家族と離れ、今の日本の生活を裏で支えている日本国民がいて、それが危険にさらされる恐れがある時、それを守るのは本来米軍ではなく自衛隊だと思うが、自衛隊員を危険な目にあわせてはいけないなどと、馬鹿なことを叫んでいる国会議員がいることが信じられない。

野党議員はおそらく判った上で言っているんだろうが、それは自衛隊員の名誉を著しく傷つけることもなる。

本当に自衛隊を心配するのなら、一日も早く憲法を改正して、フリーハンドを与えるべきだ。それに、国家の生命線である原油輸送を守るのは国会議員の仕事だろう。

日本船は昔から船体にでかい日の丸を書いて危険地域にも行っている。昭和55年イランイラク戦争では商船三井の運航するコンテナ船アルマナックがロケット弾攻撃を受け、藤村憲一さんが亡くなられている。

東日本大震災のときに「たかが電気だ」と言った音楽やがいたが、その「たかが電気」を生み出すのにどれだけの手間と費用と労力がかかっているかということすら理解できなくなっている。特に団塊世代に、自分の存在以外すべてを軽く見て、小ばかにするという軽佻浮薄な人間が多いように思っている。早く死ねばいいんだが、残念ながら寿命だけは如何ともしがたい。

日本の将来は若い人たちにかかっている。民間船舶の船員も、今回派遣される自衛隊員も、安全に職務を完遂できることを願っている。 

あと9574日 楽しく生きる

人は生きているうちが花で、死んだらゴミになるなどという人もいるが、それでは夢が無さすぎる。ものの本によると、イスラム教では殉教すればあの世で美女に囲まれて生活できるらしい。それなら行ってもいいかなと思ったりもするが、帰ってきた人がいないので、誰も証明できない。それでもゴミになるより、そのほうがよっぽど夢がある。

日本人の多くは宗教に鈍感なので、教義にとらわれることなく精神的に自由に生活している。どの宗教でも受け入て、信者になることはないにしても反対はしない。だから宗教上の争いが起こらない。

歴史上に無かったかといえば、そうではないが、違う宗教同士で殺しあうという過激なものではなく、キリスト教などに比べると、おとなしいほうだったと思う。

特に神道は信ずることを強要するわけでもないし、教義が無いという点では宗教と呼ぶことにも違和感を感じる。したがって私は神道が好きだが信者ではない。参拝することが目的であるから殊更御朱印帖を集めたいとも思わない。

以前はお札も購入したが、神棚に置いておくにも限りがあるし、粗末になってはいけないのでやめにした。神社に納めるのは10円から100円くらいの賽銭だけだから、神社にとってはいい参拝者とはいえないだろう。

参拝時は神前で祝詞を奏上するが、何かお願いすることもない。吉川英治宮本武蔵で読んだのだと思うが、「神にものを頼んではいけない、神は敬うべきものだ」とか「風呂に入っても、体の垢はおちるが、心の垢は落ちない」とか、まさにその通りだと感心した。

しかし、心の垢を落とすのは難しいかもしれないが、そもそも垢とは落とすべきものなのかどうか。それを落とすのが宗教の目的の一つだと考えることもできるが、そうすると、世間に数多ある宗教の多くはそれに該当することはないだろう。

じゃあ、心の垢は落とす必要はないのかと言うと、そんなことはどうでもいいというのが正解だと思う。映画のセリフや、小説の中で宮本武蔵がそう言えばこそ値打ちも出てくるので、そこいらのオッサンが、単に風呂に入るのが嫌で「風呂に入っても、体の垢はおちるが、心の垢は落ちない」などというと㋖扱いされるのがオチだ。

よくわからんが、宗教とはなんとなくそんな感じがしている。

小難しいことを言わずとも短い人生なのだから、うまいものを食べ、うまい酒を飲み、楽しく遊び、適度に働き、物事を肯定的に考え、過去に囚われることなく、まじめに、正直に生きることができれば、それだけで、十分生まれてきた甲斐があったといえるのではないのかな。

あと9575日 なんとなく恐ろしいこと

子供の頃にはアメリカとソ連による核実験で地球が滅びるのかと心配したこともあった。大量の放射性物質が大気中にばらまかれて、雨と一緒に降り注いでくる。それらに当たると、良くて禿げるくらいで済むが、運が悪いと死んでしまうなどと言われたものだ。

例えばストロンチウム90は、1960年代に国内で観測された最大値が約120ベクレル/㎡だったそうだ。福島第一原発事故後にストロンチウム90が6ベクレル㎡/検出されただけで大騒ぎをしていたのだから、今よりも知識の乏しい時代の子供らがどれだ恐怖を感じていたかよくわかるだろう。

少年マガジンなんかでも、日本はベガトン爆弾4発で全滅などと子供らに危機感をあおっていた。ベガトン爆弾がどんなものか、今のようにググって調べるわけにもいかなかった当時の子供等にも、とにかく恐ろしいものだということはわかった。

幸いなことに核戦争が起こることはなく75年が過ぎたわけだが、その間大人になるにつれて恐怖感は薄らいでいった。科学の進歩により国同士の意思疎通が簡単になり、偶発的な衝突が防げるようになったことも原因の一つかもしれない。

このままであと26年ほど無事に過ぎれば94歳となり、予定通りなら天寿を全うすることになるので、戦争を見ることなくこの世におさらばできるんだが、そううまくはいかないような気がしてきた。

というのも、今回のイランの件は収拾することなく、近い将来いっきに爆発するのではないかというような気もしているからだ。大東亜戦争から75年、解決することなく放置されて、捻じれに捻じれた因果関係がすでに限界に達しているようだ。そんな感じがしている。戦争でゆがめられたものは戦争でもとに戻すしかないのかもしれない。

更に中東は遠い。モニター画面で、破壊された街、逃げ回る子供、叫んでいる老人、銃を担いで徘徊する子供もいる。しかし遠い世界の出来事だ。モニターの前に座ってコーヒーを飲みながら見ている人たちには何の痛みも感じない。

それがこれから起こる戦争だとしたら、ハードルは極めて低いと言わざるを得ない。

その時石油は入ってくるのかどうか。多くの原発が止まっている今、火力発電が止まればそれこそ日本はおしまいだ。トイレットペーパーを争奪した昭和48年のオイルショックどころの騒ぎではないだろう。

こう考えていると、子供の頃の恐怖感が蘇ってくるような気がすることもある。

朝目覚めたら、昨日と同じ光景がそこにあるということがどれだけ幸せか、みんながそれに気が付いたら、争いごとはなくなると思うんだが。