無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9711日 労働組合

昨晩は、以前の職場の労働組合の人たちとの、年に一度のビールパーティーがあった。この労働組合は左翼イデオロギーとは無縁の、職員の待遇改善福利厚生を目的として、およそ25年前に、私らが中心になって結成した組合なので、組合員みんな仲がいい。

結成後、初代書記長として規約を作成して、団体交渉の申し入れなどを行ったことで、職場は上を下への大騒ぎになった。

現場の上司がそのまた上司に呼ばれて、ひそかに構成員を尋ねられたりしたこともあったようだ。もちろん不当労働行為だが、単に管理職に労働組合というものに対する免疫がなかったということだろう。ドタバタは見ていて面白かった。

今のようにインターネットで情報が取れれば問題ないが、当時は印刷物に頼っていたので、上部団体がなければ何もわからなかった。

そこで、やむなく共産党系の某団体の支部に連絡するとすぐに3人ほどやってきた。勢力拡張という目的はあるにしても、この人たちは本当に熱心で驚いた。我々は共産党なんぞ大嫌いだが、初期にはずいぶんお世話になった。

そのぶん、こちらも休みを取ってデモに参加もしたり、赤旗日曜版をとったり、それなりに義理は果たしているはずだ。だんだんと疎遠になっていったが、これもいい経験をさせてもらったと思っている。

人それぞれで、労働組合も作るのに向いている者もいれば、運営していくのに向いている者もいる。私を含めて結成初期の3役は3年くらいで引っ込んで、あとは穏やかな後輩の皆さんにやってもらったが、25年も続いているのはそれが功を奏したと思っている。

私らがずっとかかわっていたら、どこかで空中分解していたことだろう。最近騒がれているあおり運転ではないが、沸点の低い人間は勢いで行動するので、地道な活動は向いてないのかもしれない。

世の中たくさんの労働者がいるが、ゼロから労働組合を立ち上げたという人は稀だろう。今から思えば、失礼なことを言ったり、いろいろ迷惑をかけたこともあって、反省すべきことは多々あるが、それでも少しは人の役に立ったこともあったかなと思っている。

先頭にたっても、自分にとっては何のプラスにもならないということはわかっていたが、逆にそれだからこそ協力が得られたのかもしれない。こうして年に一度でも忘れずに声をかけてくれるのは有り難いことだ。

あと9720日 名古屋の思い出

8月5日から7日まで、息子と6歳、3歳の孫2人と一緒に、車で名古屋のレゴランドまで行ってきた。

さすがに名古屋は遠かった。名古屋駅近くのホテルに泊まって6日丸一日をレゴランドで過ごしたが、レゴになんの興味もないものにとっては、言うことをきかない孫たちに振り回された、ただ暑いだけの一日だった。

息子にしても、できれば女房に一緒に行ってもらいたいというのが本音のようだったが、仕事の都合で無理なのでやむなくこちらにお鉢が回ってきたというのが本当のところだろう。

それでも誘ってくれるということは、私でも多少は役に立つと思われているということかな。

昔から名古屋というか中京地域は、私らにとっては単なる通過点にすぎない、縁の薄いところではあった。ただ、昭和49年11月に名古屋港から初めて三朝丸という5千トンの重量物貨物船に三等機関士として乗船したので、私にとっては思い出の場所でもある。

その日、神戸の本社に寄って辞令をもらい、その足で新幹線に飛び乗り名古屋へ向かった。地下鉄で終点まで行って、大きな荷物を背負って税関の前をとおり埠頭に停泊中の三朝丸に乗船した。

船は韓国から帰った来たばかりで、船内はまだその話でもちきりだった。いわゆる妓生パーティーというやつだ。今はそんなことも否定して、他国に道徳を垂れてきれいごとを言っているが、我々の年代以上の人たちはみんな知っている。

よっぽど楽しかったようで、もう一か月早く乗船していたらよかったねと言われたが、遊びすぎて淋病をもらって下船した人もいたようだから、何事もほどほどにしておかないと。

その後5~6回は名古屋港に入港したが、周辺は今と違って寂しい場所だった。その当時税関と警察が争っていたらしい。港の敷地内に税関があり、出たところに派出所があったんだが、私が乗船する少し前に、税関が見逃してしまった密輸を、出口にあった派出所の警官が摘発したことがあった。

メンツをつぶされた名古屋税関はそれ以来やたら厳しくなったと聞かされた。確かに税関の前を通るときにいろいろ質問されたが、それ以後、神戸にしても横浜にしてもそんなこと聞かれたことなかったから、そういうことも関係していたのかもしれない。

それにしても、今回のトリエンナーレとかいう馬鹿なことをやらかしたのをみていると呆れてしまう。こんな人間が愛知県知事として選ばれていることだけで恥ずかしいことだと思うんだが、民意はそうでもないらしい。本人も責任転嫁して辞める気もないようだし、いやはや何ともとしか言いようがない。

あと9733日 さよなら韓国

いよいよ明日になった。何がといえば例の韓国ホワイト国はずしのことだが、本当にネットの力は大きくなったものだ。20年前だと考えられない。なぜか知らないが韓国に対しては遠慮がちだった。

パブリックコメント募集なんかも、ネットで周知されなければほとんどの人が気が付かなかっただろう。そして一部の関係者だけが意見を投稿して、流れをきめてしまうということが、ずっと行われてきたのではないか。

だれだったか忘れたが、日本は朝鮮半島でいいこともしたんだと言った閣僚が即座に罷免されて驚いたこともあったし、竹島にことなんかも隠されて、自分で調べようとしなければ知ることもできなかった。

子供のころ、韓国が勝手に引いた李承晩ラインで、巡視船が身を挺して韓国警備艇から日本漁船を守っていたことも断片的には知っていたし、少し大きくなると、戦後朝鮮人第三国人だと称して暴れて、多くの日本人が被害を受けたことなんかも山口組の本などで知っていた。

時々それらのことが浮かんでくることはあっても、普段は気にすることもなかった。マスコミがそういう情報を与えなかったのだから、国民が興味を持たないのは当たり前だ。

在日朝鮮人指紋押捺拒否についても、日本人と同じようにずっと住んでいるにも関わらず、外国人と同じように扱うのはおかしいというように報道されていたように覚えている。在日朝鮮人といったところで、単なる外国人だろうと今ならわかるが、当時は自分もそれで納得していた。

マスコミによる情報操作は、半世紀以上もの間、誰が誰に何を忖度していたのだろう。

実にバカバカしいことで、こんなことをしているから嘘がばれた今になって両国関係が回復不可能なまでに歪になってしまったともいえるのではないだろうか。

ネットの登場によってマスコミの統制が効かなくなり、日本人の記憶の片隅にバラバラに置かれてあった、韓国朝鮮はおかしいのではないかという小さな断片が結合されて、一枚の大きな絵になったといえるのかもしれない。

個人的には立派な人も知っているが、もうこの大きな流れは変わらないだろう。

一般社会でも、別に隣人だからといって仲良くする必要はない。つかず離れず、是々非々で淡々と付き合えばいいのであって、国同士も同じことだ。

それにしても明日の閣議が楽しみだ。閣議を楽しみに待つのは、多くの日本人にとって生まれて初めての経験だろう。

 

 

 

 

 

 

あと9743日 賀名生の行宮

今日、5月15日から始めた、大日本史・巻の68、69の後醍醐天皇の書写が終わった。A5、5mm方眼紙22枚、44頁になるので結構な量になる。

「15日辛丑、天皇位を皇太子に譲り、16日吉野の行宮に崩ず。年52、遺詔(いぜう)して後醍醐天皇と称ぜしむ。」

「左に法華経を把り、右に剣を按じ、以て崩ぜり。群臣亦其の言を奉じ服御を改めず、北面して蔵王堂の塔尾に葬れり。」

誕生から吉野の行宮で崩御するまでの52年間を、公家や武士の人事を絡めながら、格調高い文語体でテンポよく紹介している。

これから後村上天皇長慶天皇後亀山天皇と続いていくのだが、それはしばらく休んで、列伝の巻で紹介されている源親房・顕家、新田義貞脇屋義助等、登場人物の人物像をみていくことにしている。

2016年3月に、日本一長い路線バスとして有名な、大和八木発新宮行のバスに乗ったことがあった。出るときは空いていたが、五条駅前から大勢の人が乗ってきて、満員になってしまった。

この人たちはどこまで行くんだろうと思っていると、5つほど先にあった賀名生というバス停でみんな降りてしまって、バスの中はまた静かになった。

熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社参拝が目的だったので、それほど気にもかけなかったが、南北朝に興味を持つようになると、あの時、賀名生という大事な場所を見逃したことが残念でならない。

南北朝の動乱をみていると、軍隊の機動力には驚嘆させられる。鎮守府大将軍源顕家なんかは陸奥から京都まで万単位の軍勢をつれて2往復しているし、京都から丹波、鎌倉、関東と様々な場所で合戦が行われている。兵站をどうやって確保したのか不思議だ。

昭和17年、各自が20日分の糧秣を背負って東部ニューギニア・オーエンスタンレー山脈を越え、ポートモレスビー攻略に向かった南海支隊は、持って行った米を食べつくして全滅した。

南北朝時代では金ヶ崎城籠城で餓死者がでているが、それ以外には補給の話はでてこない。一か月も軍団が移動すると、米だけでもかなりの量を消費すると思うが、それなりに食べていたんだろうか。

歴史を見るうえで勝った負けたは確かに面白いが、こんなことも気になってくる。

 

あと9754日 長慶天皇陵

中高の歴史の教科書でも、建武の新政を行ったと簡単に紹介されていた後醍醐天皇だが、今ではほとんど忘れられているようだ。戦前の一時期、忠君愛国のシンボルとして持ち上げられ、国民に多大な影響を与えた楠正成ですら話題になることもない。

高校でも国史を取らずに卒業できるらしいから、うちの子供らも何も知らない。特に興味もないので、自分で歴史の本を読むこともなかったらしい。嘆かわしい限りだ。

少なくとも国史くらいは必修にすべきだと思うが、日本が嫌いな社会科教師もたくさんいるようなので、変な授業をされるくらいならないほうがいいのかもしれない。

まだ現役のころ、中学の同窓会で県立高校の社会科の教師をしているY君と話したことがあった。Y君は、職場の社会科教師の政治的偏向がひどすぎると憤慨していた。いわゆる左巻き一色ということだ。

そういうY君自身も、真実に覚醒したのは最近だと話していたから、蒙昧な人生を20年以上送ったことになる。

Y君は、自分は気が付いたからよかったが、気が付かずにまだ変な思想を語って、子供らを洗脳しようとしている教師がいるんだから、困ったものだと話していた。6人の社会科教師がいて、Y君以外はみんな左巻きなんで、それを正そうとしても多勢に無勢で話しにもならなかったらしい。

さて、話は南北朝に戻るが、伯父の家の近所に立派な長慶天皇陵がある。

近くに大日本史にもでてくる南北朝の古戦場跡があるので、少しは南朝方と関係があったのかもしれない。

長慶天皇とは南朝第3代天皇だ。資料が少なく最期についてはよくわからないが、明治天皇南朝が正統だと勅裁を下したことが切っ掛けとなって、長慶天皇も正統と認められるようになり、皇統譜に加えられたということらしい。

大日本史後醍醐天皇を読んでいくと、尊氏が作らせた偽の神器を持っただけの、現皇室につながる北朝はインチキだと言わざるを得ないが、まあ、そこらあたりいろいろ見方があるんだろう。

終戦直後、南朝熊沢天皇という人が出てきて、昭和天皇皇位を請求して話題になったことがあった。初めてその話を知った若いころは、そんなことは荒唐無稽だと思っていたが、後醍醐天皇の末裔はどこかにいるはずだし、南北朝に少し興味を持つようになると、それもありかなと思うこともある。

明治天皇がいうように南朝が正統なら、いずれは正統な南朝天皇が即位する時がくるということになるのかな。

あと9764日 神聖喜劇

処分する予定の本を、玄関にうずたかく積み上げてはみたが、それから先になかなか進まない。2階の玄関は使ってないので、いつまで置いていても別に問題はないが、その山を見るたびに気が滅入ってくる。そこで先週のこと、一念発起して行動に出た。

といっても、試しに「神聖喜劇」全5巻を近所の古本屋に持っていっただけだが、予想通りというか、その買取値段の安さにはがっかりしてしまった。最近、この地方では有名な産土神社の横にできた、T書房という古本屋だ。

なぜ「神聖喜劇」を最初に売ったかといえば、この本はとにかく読むのに骨が折れる本で、もう二度と読むことはないということがはっきりしているからだ。

主人公東堂二等兵の、読者が辟易するほどの博覧強記についていくだけの教養が、残念ながら自分にはなかったことも、原因の一つかもしれない。

読みにくい本で、果たしてこの本の隅から隅まで読んだ人が、著者以外に本当にいるんだろうか、と思えるほどだ。

漫画化もされていたので電子書籍で購入して読んでみたが、さすがに内容は希釈はされていた。それは当然のことで、あれを全部入れていたら漫画にはならないだろう。

そんなことをいろいろ考えながら、本を提げて店に入ると、30代と思しき、ちょっと頼りなさそうな、古本屋には似合わない可愛らしい女性が出てきた。本当に本の査定ができるのか少し不安になった。

買取をお願いすると、「少々お待ちください。」と言って、奥へ入っていった。カチャカチャとキーボードを叩いている音がするので、古本業者のデータベースでも検索しているのかもしれない。

5分ほどして出てくると「800円でいかがでしょうか?」と言ってきた。もう一声とは思ったが、面倒くさいのでやめにして、素直に800円を受け取った。

これでやっと5冊は片付いたことになる。なんかほっとした。

ついでに、家に古い本がいっぱいあることを話すと、出張査定もしますと言って店の名刺をくれた。これで買い取り値段さえ気にしなければ、この店に電話すれば、家にある本はすべて片付くことはわかった。

ネットで売ることも考えたが、特殊な本なので気軽に買うようなものでもないし、たぶん買い手はつかないだろう。

女房とは夏までに処分すると約束していたのに、もう夏になってしまった。秋までにはなんとかしなくては。

あと9777日 十種神宝

古事記神代巻音読を始めてすでに3年が経過した。100回を越えてからペースが落ちたが現在139回目の途中だ。いろいろ用事もあって、なかなか進まない。来年3月で町内会長の任期が終わるので、また以前のように自分だけの時間の流れの中で、ゆったりと暮らせる日が来るのを心待ちにしている。

早朝は、現在同居している二男や女房の出勤と重なり、時間的に難しいので、二人が出かけ、掃除も終わった後に祝詞奏上を行っている。別に何かを期待しているわけでもなく、昨日もいつもの通り神前に座り、いつも通り終わる予定だった。

ところが、昨日は最後にちょっとした出来事があった。それは、少し声がかすれて調子は良くなかったが、一連の祝詞も滞りなく終わり、印を結んでいたときのことだった。

自己流だが、いつも最後に十種神宝による鎮魂を行っている。普段は流れの中で何気なく行っていることだが、昨日は印を結んでフルへユラユラと唱えていると突然意識が飛んでしまった。すると、向こうの方に広がる野原の一本道を、一人の白髪の老人が笑顔でゆっくり歩いてきた。

その顔に見覚えはない。近づいてきて視界から消えると、そのまま私の横にあったベンチのようなものに座った。誰だかわからないが、なんか楽しかった。白髪といっても、如何にもというスタイルではなく、髪は短く刈り込んであり、所謂胡麻塩頭だったかもしれない。地味な洋服を着ていた

横に座ったと感じたとき、意識が戻った。手は印を結んだままだったから、短時間の出来事だったんだろうが、長く感じた。或いは一瞬寝てしまって、夢を見ただけかもしれない。夢なら夢でもいい。こういう夢なら何度でも見てみたい。しかし、あれは一体誰だったのかな。