無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9410日 武漢コロナが変えたもの

武漢コロナの影響はいろんなところに出てきている。その一番大きな出来事は、戦後築き上げてきた世界秩序の崩壊ではないだろうか。

人類史上最強国家でもあるアメリカの今の状態を誰が予想しただろうか。しかし、アメリカはいったん決断すれば、アナーキストコミュニストをいつまでも野放しにすることはないだろう。

大恐慌にも匹敵するような不況がすでにやってきているが、リードできる国はどこにもない。そんな中、遅れてきた帝国主義のチャイナは一見自信満々で、国内を強権で抑え込み、他国領土をかすめ取ろうと動いている。

この国は昔からロビー活動が得意で、戦前は我が国もしてやられた苦い経験がある。しかし今回はアメリカ議会ではあまり成功してないようだ。大日本帝国の轍を踏むつもりか。踏んでぶっとんでもらったほうが、世界平和には貢献するだろう。

また、一部勢力には都合のよい隠れ蓑として利用してきた、国連という組織の軋みも見逃せない。ここにもチャイナが影響しているようだ。組織に金を出すよりは個人に出す方が効率的なことは誰にでもわかるが、大っぴらにそれをしないのが暗黙のルールだったはずだ。

日本は覇権を求めているのはけしからん、中国は覇権は求めないなどと、昔、周恩来が吠えていたが、今はその力が無いから求めないが、力が付けば求めるよ、ということの裏返しだろうことは当時の高校生にでもわかっていた。

力を蓄え、今その時が来たと思ったんだろうが、それが正しい判断だったかどうか、近いうちに結論がでるだろう。

世の中、個人も組織も国家であってもすべて信用で成り立っている。もしそこで信用を失えば、すべてを失うことは自明の理だ。経済的に裕福であればそれほど意識されることも無いが、世界経済が収縮してみんな貧乏になればそうはいかない。その時信用の持つ価値が輝いてくる。

金も人も物も動かない、これからの時代はまさにそういう時代の到来であるともいえる。グローバリズムの終焉とナショナリズムの勃興だ。そこに欠かせないのが、その信用を担保する軍事力ではないだろうか。

小田原評定で日本は大丈夫か?

 

あと9418日 自分に認められること

毎日これといって面白いこともないが、時間だけが過ぎていく。やらなくてはいけないことも無くはないが、今やる必要はない。頼まれていたポテトサラダも午前中に作ったので晩御飯の支度もできた。昨日受け取ったままになっていた回覧版も、持って行ったし、さて今日も終わりかなどと考えている。

そうそう、今日は紙ごみの収集日なのでついつい置き場を見てしまった。すると段ボールが、ばらさずに箱のままで5~6個乱雑に置かれていた。多分学生の仕業だろう。ルールぐらい守れよとちょっとイラッとした。

これも見なければ気にもならないんだが、町内会長だった時の癖がまだ抜けてないようだ。しばらくして収集車が来たので見ていたら、全部持って行ってくれたのでほっとした。

言ってみれば、このゴミ出しトラブルが今日のクライマックスかな。平坦な生活だ。

5時過ぎになると、終日雨も降っているので、車で女房を迎えに行かなくてなならない。世間の人が働いているこの時間帯に、のうのうとこんなブログを書いておれるのも、女房の稼ぎがあるからで、お迎えくらいはお安い御用だ。

そんな平坦な生活に時々カツを入れてくれるのが、去年の12月から、民生委員の業務で月に2回ほど回っている独居老人の皆さんだ。だいたい女性は話の好きな人が多いし、話も面白い。同じ話が何回も繰り返されるのはよくあることだが、生命力を感じさせられる。本当にあやかりたいものだ。

皆さん、若いときから家族のために一生懸命働いて生きてきた人達だ。話していてもそこには迷いが感じられない。もちろん、80年、90年過ごしてきた人生だから、探せば心の奥にはいろいろあったのかもしれないが、それらのことも些末な存在になるのだろうか。

そこらあたりはよくわからない。私は今68だが、まだそういう心境にはならない。これは年齢の問題ではなく、男女の違いなのかもしれない。

この人たちと話していると、面白いとか、つまらないとか言わずに、生きるために働き、その生きてきた人生を自分自身が認めていることがよくわかる。

時々「○○さん、まだ若いからうらやましいよ。」と言われる。予定通り94歳まで生きるとすると、まだ26年残っているが、今まで、生きるために一生懸命働いたという意識はない。

仕事を辞めて5年目に入ったが、どんなきれいごとを言ったところで、自分をだますことはできないということだけはわかってきた。自分に認められなければ何の意味もない。

あと9429日 ツイッターをぶっ飛ばせ

ツイッターのアカウントを突然停止されて、その理由も明かされないという経験をされたかたもかなりいるようだが、そのツイッターが、とうとうトランプ大統領にいちゃもんを付けてしまった。

それに怒ったトランプさんが、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)企業に与えられている免責による保護を制限する大統領令に署名したらしい。

ツイッターなどのSNS企業は、ユーザーの投稿に対する責任を免れていたが、今後はその免責をなくすということのようだが、そんな都合のいい免責条項があったのを今回初めて知った。

確かにSNSのような事業は、投稿の内容に責任をとらされていたら、訴訟の連発で運営できなくなるかもしれないが、免責を与えるというのは、中立的な運営ができているということが前提になることだろう。

しかし、その中立的な運営が難しい。意見が別れることや、感情的な食い違いなどについて、SNS側が一方的に内容を規制するということは、SNSの担当者が裁いていることになるのではないか。それは中立ではない。

トランプ大統領が言っているように、リベラルや民主党よりの意見に偏っていたとしたら、免責による保護を与える対象ではないということになる。日本のマスコミはトランプ大統領嫌いだから正しい報道は期待できないが、そんなものに頼らなくても幸いネットでは生の情報が入ってくる。ほんとうに良い時代になったものだと思っている。

この問題はネット社会が孕んでいる大きな問題を表面化したのではないかと思っている。誰でも発信できるということは、マスコミの編集から逃れて、取捨選択する権利を個人が取り戻したという点では大きな意味がある。

その一方でさじ加減一つで、誰にでも容易に大衆を扇動することができるということでもある。結局正しく利用するには一人一人が利口になるしか方法はないのだろうが、そんなことは不可能だ。

そのような統制しようのない大きな力を1民間営利企業に持たせ、その営利企業の中に雇用された1民間人に決定権を持たせて、その結果に対しては免責というのはやはりまずいのではないかと考えるのは私だけでないだろう。

子供の頃見た西部劇の主題歌に「♬レンジライダー~ レンジライダー、正義のおとこ~♬ ひとたび怒れば火をはく鉄拳~~♬」というのがあったが、まさにこの心境だ。

さすがトランプ大統領 ツイッターをぶっ飛ばせ!!

あと9435日 ノンリターンバルブ

去年の12月に民生委員を引き受けた頃、担当地区のお年寄りと感染症予防の話をしていた時「もう、インフルエンザになって死んでもいいんですよ。」と話す人がいた。まだ80歳にもなってないのに、そんなことを言わなくてもいいのにと思って、思わず「インフルエンザになって肺炎で呼吸困難で苦しんで窒息死するよりも、どうせ死ぬんならガンで死んだほうがいいですよ。」と言ってしまった。

ちょっとまずかったと思ったがもう後の祭りだった。これは怒られるかなと観念していると意外なことに「そうですか、インフルエンザはそんなにしんどいんですか。それならインフルエンザで死ぬのはやめときます。」と言ってにっこり笑ってくれた。

年をとって1日中1人で家にいるといろいろ考えてしまう。このお年寄りだけではなく、私自身も自分がこの世に生きていなくてはならない理由が見つからないこともある。じっさい私が今死んでも誰も困らない。ちょっと困る事と言えば、遺族年金になるので、女房が受け取る年金が減るぐらいのことぐらいだろうか。

要するに、すでに役割は終わっているということだ。

仕事を辞める前には、定年後の生活は、子供にとっての長い夏休みと変わらないように安易に考えていた。あの頃は朝起きると、さあ今日は何をして遊ぼうか、プールに泳ぎにいくか、ため池に釣りに行こうか、山に蝉取りに行こうか、Tちゃんとキャッチボールしようか、考えるといろいろ楽しかった。

しかも子供の夏休みには嫌な宿題があったが、定年後はそれもない。いいこと尽くめのはずだった。しかし現実はそれほど単純なものではなかった。すでに4年間の長い休みを経験した今言えることは、「子供が年を取って老人になる。これは肉体的には正しいことだ。確かに子供の延長線上に老人がいる。しかし、精神的にはそうではない。両者は全く別のものだ。」ということだ。

子供は早く大人になりたいと思い、そして大人になることができる。大人になるということは死が近づくことでもあり、両親との別れもあるにもかかわらず、それでも子供は大人になりたいと思う。そこには死へ向かうという意識はない。

その精神的成長の過程にはノンリターンバルブのようなものが設置されているに違いない。その勇敢な子供時代とさよならをして、そのバルブを越えて精神的に死へ向かったのはいつの頃だったんだろう。

あと9444日 コロナの日常

とうとう知り合いの勤務先からもコロナ患者がでてしまった。勤務先ではなく家庭で感染したということらしいが、何日も職場に来ていたのだからクラスターが発生していてもおかしくない状態だ。

私自身は普段は家からほとんど出ないので、武漢ウイルスのこともあまり気にすることもないが、こんなことがあると、じわじわと近づいてきているようであまりいい気はしない。

安倍総理が今月中にはアビガンを認可すると言っていたので、来月からは感染初期にどこの病院でも処方してもらえるようになれば、それほど恐れることはないのかもしれない。

13歳まで小児喘息で苦しんだ経験者からすれば、肺炎でだけは死にたくない。生きながら呼吸が困難になるというこの苦痛は、経験したものでなければわからないだろう。

死者が少ないとか、ほとんどの人は重症化しないとか、軽く見てパチンコなんかに出かけている馬鹿がいるが、武漢ウィルスという名前の通り、一番詳しいであろうあのチャイナが、大慌てで1000万もの人口の武漢を閉鎖した事実をみれば、とてもそんな甘いウィルスとは思えない。

日本ではテレビをつければ朝から晩までコロナコロナで、所謂ひな壇芸人電波芸者、自称専門家が煽りまくっている。テレビがコロナ以前は何をやっていたのかすら忘れてしまった。結局は必要ないことを電波を使って流していたということか。

やれ政府が悪い~、安倍が悪い~、西村が悪い~、アベノマスクが~、ハッシュタグが~、世界に笑われている~、

こんなことばっかりずーっとやっているわけだ。

別に政府がやっていることが全部正しいとは思わないが、結果をみたら結構うまくやっていると思っている。

先日は、先頭にたって武漢ウィルス対策に奔走している、いそがしい人を国会に呼び出したくせに、説明を聞こうともしなかった野党国会議員が謝罪していた。

本当に知りたいことがあるのなら、その質問内容をきちんと通告しておいて、短時間でまとまった答えをしてもらうように考えるのがあたりまえだろうが、この人たちにとっては、質問するということだけが目的だから、答えなんかどうでもよかったんだろう。

みんな暢気なものだが、今回の武漢ウィルスが、エボラ出血熱のようなものだったとしたらどうなっていただろう。人がばたばた死んでいく中で、憲法に緊急事態条項がないから都市のロックダウンもできない、個人の権利を制限することもできない、などと悠長なことを言っていられただろうか。混乱に乗じてテロ行為や海外からの侵略もあるかもしれない。

ウィルス蔓延状態では日米安保条約も機能しないだろう。国は国民の安全を守る義務があるはずだが、その時に今の憲法で守れるのか。

今度の武漢ウィルスがいい機会だ。是非とも緊急事態条項に関する憲法改正国民投票を実施したらいい。国会議員は責任をもってその職務を果たしてもらいたい。

あと9460日 記憶とは

人の記憶とは曖昧なもので、前回のブログで書いたゆきちゃんについて、大きな間違いがあることがわかった。自分の親がいたら確認すればすぐにわかることだが、その親はもうすでにいない。親を亡くすということは本当に自分の過去をなくすことだと実感している。

先日、すでに独居老人として民生委員の見守り対象となっている、私より2歳年上のSちゃんを尋ねた時に、ゆきちゃんのことを聞いてみた。64年前の当時のことを知る人はほとんどいなくなったが、Sちゃんはよく覚えていた。

Sちゃんが言うには、ゆきちゃんはNさんの子供ではなく、Nさん宅に間借りしていたTさんの子供で、お父さんとお姉さんと3人で暮らしていた。お母さんはゆきちゃんが小さいとき亡くなっていた。ゆきちゃん自身は広島のほうにお嫁に行ったということらしい。

ゆきちゃんのお父さんのTさんが、Sちゃんのお父さんが経営していた工場に働きにきていた関係で、あの一家のことはよく覚えているので、記憶違いはないと断言していたから、間違いはないのかもしれない。

そういわれると、そうなんだろうと納得せざるを得ないが、それではあの着物姿で麦畑の横の道を歩いて、映画を見に行っていた人は誰だったのだろう。

それに、母親から聞いたとして記憶している、白血病で亡くなった子供とは一体誰のことだったのだろう。

ゆきちゃんが亡くなった時、近所のYちゃんが泣いていたという話も誰かから聞いて覚えているが、これも夢だったのだろうか。

映画館まで一緒について行ったK君にも確認してみようとは思うが、おそらくこんなことは忘れてしまっているだろう。

昔の記憶に関しては自信をもっていたんだが、その自信も一気に揺らいでしまった。

結局記憶と言うものは連続した一つの塊として独立して存在するものではなく、ジグソーパズルのような断片的なものの組み合わせで、過ぎていく時間の流れの中で自分が好む形に組み上げていくだけのものかもしれない。

自分にとって現実とはこの瞬間だけで、その現実も過去の中に組み込まれた瞬間に一つのピースとして漂っていく。そのピースを拾い集めてそれぞれがそれぞれの記憶を形成していくとすれば、ゆきちゃんのことも、Sちゃんと私とでは違ったピースを使用していたということになるのだろう。

昔の記憶をたどる時、蘇った記憶は自分の中では現実になる。確かにあの時ゆきちゃんと映画に行ったし、ゆきちゃんは薄幸の人で、若くして亡くなった。母親からも聞いたし、近所の人からも聞いたことがある。だが、それらもすべて、漂う1つのピースにすぎなかったということだろうか。

あと9475日 ゆきちゃんの思い出

70も近くなり、先も見えてきたような気もしている。とは言え、ここまで元気で生きてきたのだからもう少し生きて、死ぬ時まで元気でいたいと思うのも人情だろう。そんなことを考えているといつも思い出すのが、若くして白血病で亡くなった近所の「ゆきちゃん」のことだ。

Nさんの娘さんで、私より5歳か6歳か年上だったような気がしている。思い出すのはいつも同じ場シーンだ。

Nさんの家には時々遊びに行っていたので、ゆきちゃんはよく知っていたが、病気だということは知らなかった。小学校の1年生か2年生の頃のことだからそれも無理はないだろう。

あれはおそらく昭和34年の春先のことだと思う。私とK君と二人でうちの前で遊んでいた。K君とは「あと10705日」に出てきた、一緒に少年探偵団ごっこをしていた子供だ。

家の前は田んぼで、二毛作の麦が植えられていた。その向こうがNさん宅だった。ふと顔をあげると麦の穂の向こうに、着物を着たゆきちゃんがこちらにやってくるのが見えた。K君と二人で見ていると、それに気が付いたゆきちゃんが優しく微笑んでくれた。

「ゆきちゃん、どこに行きよるん?」私が聞くと、「映画を見に行きよるんよ。」ゆきちゃんは立ち止まった。K君が「僕らもついて行ってかまん?」と聞くと「ええよ、一緒に行こ。」と優しく手招きしてくれた。

当時あった本町劇場まではゆっくり歩いて20分くらいかかったと思うが、入場料も持ってないし、私はゆきちゃんと一緒に歩きたかっただけで、映画を見たいという気はなかった。

途中何を話したかほとんど覚えてないが、入場者に紛れてこっそり入ってみようというと、よからぬ相談をK君としていたのは覚えている。当然ゆきちゃんもそんな話は聞いていたはずだ。

映画館に着くと、ゆきちゃんは入場券を買って入口の当たりに並んだので、私たち二人もその後ろに並んだ。当時の映画館はいつも満員だった。そしてゆきちゃんに続いて、もぎりのカウンターの下をくぐるように館内にもぐりこんだ。してやったりと二人は満足した。と記憶はここ途切れている。

しかし、今から思えばそんなにうまくいくとは思えないし、ゆきちゃんがそんな悪事を許すはずもない。きっとゆきちゃんが子供2人分を出してくれたんだろう。一緒に行こうと誘ってくれたときから、そのつもりだったのだと思う。

後年母に聞いた話では、その頃にはゆきちゃはもう学校にも行けなかったので、具合が良いときに慰めに映画を見に行っていたらしい。

それからしばらくしてゆきちゃんは亡くなった。

ゆきちゃんとの記憶はこれだけだが、今でもあの時の笑顔が忘れられない。

それにしても、Aさんといい、ゆきちゃんといい、あの頃の近所のおねえちゃんは、なんであんなに優しかったんだろう。