無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10881日

 昨日の産經新聞の投書欄に、定年退職後やりたいようにやるといって、昼近く迄寝て、昼に温かいご飯を食べて、おやつ類を食べながら夜遅く迄ネットし放題という生活を、旦那さんが送っていたが、しばらくすると飽きて来て、再雇用で元の職場で働くようになったという投書があった。さもありなんというところかな。何の当てもなしに自堕落な生活を続けるのは無理だろうな。これならわしでも一週間ともたないだろう。

 通常、人間は自らに何らかのルールを当てはめ、そのルールの中で生きて行かなければ安心できないし、不安定になっていくようだな。わしは職場での労働を昭和元禄田舎芝居全1幕と呼び、32年間与えられたわしの役を演じて来た。代わりの役者は探せばいくらでもいるが、そこにはわしがわしの役を演じるという暗黙のルールがあった。まあ、他の人も同類だから、そこには波風はたてんわな。ルールを守り、役を演じている限り、わしは安定していたんだろうな。

 ここでいうルールとは成文化されたものではなく、破ると自分で精神的ストレスを勝手に溜め込むことになるものとでも言ったらいいのかもしれんな。わしの今の生活はまさにルールに従っているといえるだろう。このルールを破るためには精神的な均衡を保つためになにか他のルールを作らなければならないんだろうが、とりあえず11月3日で65歳になるまでは変える事はないだろう。