無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10882日

 今日も4時半に起きて、女房を車で送ったんだが、今日は昨日の徹を踏む事無く、6時半まで二度寝をした。7時迄寝ようと思ったんだが、犬が寝かしてくれない。快調に目覚めて朝の作業に取りかかった。誰かにみてもらいたいとか、評価してもらいたいとかとは一切関係なく、自己満足のためだけにやることだから、手抜きとか、さぼりとかいう言葉は存在しない。そんなことをしたり考えたりすると、自分が満足できなくなるだけで、やっていることの意味がなくなるんだな。快調ついでに、今日は特別にパソコン周りの掃除をプラスしといたよ。祝詞と太陽参拝すませた後、株価チェックをしたが、株もしゃきっとせんね。

 昼のいこいなんぞを聞きながら昼食の冷凍食品のあなご飯を食べた。うまいので二人前食べてしまったよ。1時にご近所に住んでるご夫人が退院されたのでお見舞いがてら尋ねた。女房が忙しくて行く時間がないので行かされたんだな。わしは自慢じゃないが、世間話くらい苦手なものはないんだよな。退院したご夫人に一体何を言えばいいのか見当もつかんぞ。と思いながら家を出ると、ちょうどその家の前に郵便局の職員の単車が止まっているではないか。これはラッキーと急いで行ってチャイムを押したよ。簡単にお見舞いをいって、また女房が来るからと伝えて早々に引き上げることができてほっとした。

 7000歩あるくのも暑くなった。そろそろ冷房が必要になるな。古事記8回目にかかり、5ページ程読んだ後、茄子の揚げ物を作ったが、まあまあのできかな。

あとは女房を迎えに行ったら今日も終わりだ。明日も元気に目覚めよう。