無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10835日

 今週から女房が仕事に出るのでまた早起きに逆戻りだ。ここのところ寝るのは0時、起床は7時頃となっていたが、朝が4〜5時起きになるので、残念ながら夜更かしは不可能となってしまった。女房が仕事に行くからといって、わしがそれに合わせて起きる必要もないのだが、犬が寝かせてくれないんだな。

 今朝は5時に起きたが、ゆうべちょっと油断して夜更かししたので、睡眠時間は5時間だった。今朝は7時くらいからいつもの掃除を始めたんだが、なんか体がだるくて雑巾がけも大変だったな。それが終わったらぐったりしてソファに座ったとたんに寝てしまったよ。30分ぐらいで目が覚めて、風呂掃除をしようと思ったんだが、排水溝の掃除だけで終わりにしてしまった。10時くらいに太陽参拝、祝詞奏上でやっと体がしっかりして来た。やっぱり年をとると睡眠時間は十分にとらんと、力がでんな。

 1時頃からいつもの7000歩の歩行開始。それが終わった2時過ぎに女房が帰って来て、晩のおかずに茄子の煮浸しを作れというのだが、歩行で疲労困憊なので3時半までソファで犬と一緒に睡眠。4時から作業開始で、女房は醤油と砂糖で味付けというのだが、わしは醤油では色が濃くなりすぎて見た目が悪いので白だしを使う事にしている。白だし、水、みりん、砂糖で味を整えたが、これは我ながら上出来だったな。2歳半の孫もおいしいと言って食べたから、まあおいしかったんだろう。

 ここ最近は女房が家にいたので、わしの生活のペースにも多少の変化があったが、今週から11月末くらいまでは女房の仕事が続くので、掃除道、飯炊き道、太陽参拝、祝詞奏上、古事記神代巻100回読破を中心とした本来の生活パターンが取り戻せそうだな。