無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10806日

 最近、夜11時過ぎて寝ると、2〜3時位にトイレに起きるが、10時30分くらいに寝ると朝まで起きないことが多いということに気が付いた。10時30分までに寝ると、脳は、体が寝る体制に入ったと理解し、尿を作り出す機能が落ちてくるのかもしれないが、11時過ぎて寝ると、体は寝ていても脳はまだ起きていると認識して通常通り尿を作る出すということだろうかな。本当かどうかはよくわからんが、100日間の体験ではそういうことだな。

 このように一日家にいて自分と向きあっていると、いろんなことに気づくようになるんだな。初めに書いた尿の件も其の一例だが、エアコンの室内機から出る水滴が一日で何リットルになるかとか、以前書いた、踏み石の上の猫の糞は何日くらいで蟻が分解してしまうかとか、ハエ取りクモの一日の行動距離はどのくらいかとか、風呂場の排水溝にたまる髪の量は日によって違うということなど、ほんとうにいろいろあるんだな。

 これが外へ向かっているときは何の問題も無いんだが。ひとたび内へ向かい始めると結構めんどうなことになるんだな。わしの親父はおふくろが死んでから10年近く1人で部屋にこもっていた。つまり今のわしのような生活だな。違いは、わしは自分の意志で今の生活を選んだんだが、親父はおふくろの死によって否応無くそういう世界に放り込まれたということかな。そして親父は内へ向かったんだな。小便の色がおかしい、小便が泡立つ、癌じゃないか。腹が痛い、便が出ない、癌じゃないか。こういうふうにちょっとした体の変化をとらえてそれを病気に結びつけてまた鬱がひどくなるという連鎖だった。女房も苦労していたな。

 実は、わしがはじめに書いた尿の量と睡眠時間ということに気が付いたとき、ひょっとしてわしも親父のように内にむかいはじめたんかなと、ちょっとびっくりしたんだな。わしはこういう生活をしていても、自分の意識をある程度コントロールできる自信はあるんだが、やってみなくてはわからん部分もある。さあどうなるか、波にのまれないように意識をしっかり持たんといかんな。