無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10747日

 今日の午後2時7分頃鳥取震度6弱地震があった。かなり被害がでているらしい。わしはこの時、パソコンでネットをみていたんだが、突然携帯の地震警報が鳴りだして、犬が部屋の中を走り回っていたな。それから30秒程たって、周期の長い、船が揺れているような感じの揺れが暫く続いた。平成13年の芸予地震の時、このあたりで震度5弱で、一瞬動けないくらいの揺れだったが、今回は揺れ方が全く違ったな。地震は気をつけていても来るときは来るし、防ぎようはないので、ただ、ここらで起きない事を祈るしかないな。

 このあたりは昭和21年の南海地震以来大きな地震は起きてないので、昭和26年生まれのわしは、地震に関する記憶として残っているのは、平成13年の芸予地震とあと1つ、昭和43年3月末にあった地震くらいだな。これはそんない大きくなかったが、わしはよく覚えている。あれは瀬戸内海の島にある全寮制の学校に入学する前で、その日に、学校宛に送る布団袋に必要なものを詰め込んで、日通が取りにくるのを待っていた時だった。日通といえば、あと10755日に書いたように、殿様商売をしていて、この日もいつ来るかわからん日通のトラックを朝から待っていたんだな。親父は仕事、おふくろは兄貴の大学校の入学式に行って留守だったので、わし1人で退屈しながら玄関先で寝転んで待っていた時だった。突然ガタガタミシミシと家が揺れだしたと思うと、台所の棚に置いてある、蒸し器とかの金物類が転げ落ちて来たんだな。ものすごい音がしたんだが、結局わしは全く動けなかったな。16歳だったんで今と違って反射神経も、運動能力もあったと思うんだが。地震はすぐにおさまったから良かったが、長く揺れが続いてもわしはやっぱり動けなかっただろうな。老若男女等問わず、地面が揺れるくらい怖いことはないと言えるんじゃないかな。