無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10722日

 あと10861日に、中学生のとき、友人に紹介されて静岡県の中学生だった鈴木美佐江 or(みさ江)という人と文通したことを書いたことがあるが、その人を紹介してくれた友人は、Y君という人だった。高校が違ったので卒業してからは一度も会った事は無かったんだが、24歳か25歳のころに中学3年のクラス会をやることになって、そのY君が世話をしてくれた。当時Y君は彼の祖父のやっていた会社の専務をしており、若いけれども、いかにもやり手の重役という雰囲気を漂わせていたな。しかし、それだけではなく、金回りも良かったみたいで、2次会の費用はY君が全部だしてくれたようだった。担任の先生の話によると、祖父の会社というのが、そこでしか産出されず、値段があって無いような特殊なものをあつかう会社なので、相当儲かっていたらしい。

 それから何年かたって、おふくろから妙な話を聞いた。あのY君がどうも亡くなったみたいだと言ってきたんだな。別府に向かう客船から投身自殺をしたらしいということだった。わしにはあのときの自信に満ちたY君が自殺するなどとは到底信じられなかったな。若くして金も名誉も手に入れて、順風満帆の人生のように見えていたが。金で解決できない悩みだったんだろうか。まあそういうこともあるんだろうな。

 かく言うわし自身も、船会社入社1年目で22歳の時に、県職員だった52歳の親父の給料を超えていたから、今から考えても驚く程の高給取りだったんだが、思うところがあって、収入が1/4になっても今の生活を選んだんだから、やはり金では解決できなかったということなんだろうな。まあ、そう言えば格好いいんだが、人間の心なんぞころころ変るもので、ある時は高給取りだったころを懐かしんだり、またある時は、ストイックな考え方にのめり込んでみたりで、行ったり来たりして、まるでサインカーブのようなものだったな。

 体の弱い人が、金はなくても健康であれば満足などと言ったところで、健康が確保されればこんどは金が欲しくなるのは当たり前で、所詮人間は貧乏には弱いからな。こうあるべきではなく、あるがままに受け入れて、自分に正直に生きるということも、人生を楽しく生きる上で大切な事なんだと思うな。

 50歳代になればそれなりに、60歳代になればまたそれなりにわかることもある。Y君なんかも、生きていたらどうにでも変わることができたんだろうに、死んでしまったらだめだよな。