無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10702日

 今、古事記神代巻音読30回目の3分の1ほどを読んでいる。今年の4月1日から読み始めて11月3日、65歳までに100回と目標をたてていたんだが、27回しか読めなかった。実際に65歳になって、100回どころか50回にも届かなかったのでちょっとがっかりしてペースが落ちてしまったんだが、女房が二男の家に行って1人になった機会にねじを巻き直した。「サニワと大祓の詞の神髄」p132に以下のように書かれてある。「日頃から古事記神代巻を声を出して何回も読み、言霊をじゅうぶん耳に注げばだんだん鎮魂状態に入り、自然に正しい霊力がついてきます。」

 この文も今までに何回も読んでいるんだが、古事記神代巻30回読んでも、言霊を耳に注げば鎮魂状態にはいるというのがよくわからない。むかし、ある教祖が、わしの査霊をしてさらに鎮魂状態に導いてくれたことがあるが、その時もよくわからなかった。あとからこういう状態ではなかったかと聞かれると、そうであったような気もするなあ、という程度だったんだが、導いてもらってそれくらいなんだから、1人でやるのは並大抵の事じゃないんだろうな。そもそも言霊がよくわからないんだから日暮れて道遠しという状態なんだろうが、或はあきらめずに読み続けるうちに、自然に理解できる日がくるんだろうか。

 わしは2年前に「サニワと大祓の詞の神髄」「言霊と太陽信仰の神髄」の2冊を読んで、この人は本物だと直感したが、知るのが20年遅かった。直接指導を受ける事ができた門人の人達がうらやましいとはいっても、これだけはどうしようもない。わしに残された時間はあと10702日しかないが、あせらず、おこたらず、365歩のマーチじゃないが、千里の道も一歩から始まる事を信じよう。