無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10542日

 地図というものを最初に意識したのは、兄貴が小学校2年生の時に、電電公社の写生大会で佳作に選ばれて、賞状と記念のメダルをもらったときだった。幼稚園で一緒だった近所のK君とわしが、家の前の側溝のわきに座って話していたら、兄貴がメダルを持って来て見せてくれた。その時に表の模様が日本列島だと話してくれたんだが、わしらには、日本列島といっても何の事だかわからなかった。今の幼稚園児は生活の中で受け取る情報量も多いから、当然知っていると思うが、60年前の幼稚園児には、日本という国の形が理解できなかったということだ。

 この時兄貴は、わしは大きくなったら絵描きになると言うとったな。この時はみんなからすごいと言われて、その気になっていたんだろう。確かに零戦や軍艦を描いたり、戦争漫画を描いたりするのは上手かったが、中学生ぐらいになると、美術や美術教師なんかを小馬鹿にするようになり、真面目に描かなくなってしまった。それでも、高校生になってもノートや教科書の端に描いていた戦争漫画はなかなかの出来映えで、うまいなと思っていたら、とうとう漫画の中身の方が本職になって、海上自衛隊パイロットになってしまった。

 兄貴が賞状とメダルをもらったことは親父もうれしかっようで、すぐに白い額縁を買って来て、みんなで部屋に飾ったの覚えている。このときの賞状とメダルは親父の遺品の中に残されていたので、兄貴に持って帰るかときいたら、いらんと言うとったな。確かに家に持って帰っても、結局ゴミになるだけなので、その選択は正しいんだが、当時の親父やおふくろの喜び様をよく覚えているわしなんかには、物に執着しないのも程々にせいよと、ちょっと不満だったな。

 ところで地図といえば、所謂国連、正しくは連合国だが、この旗について今でも覚えていることがある。わしは小さい頃、この旗に書かれてある地図が、クモの巣にしかみえなかった。幼稚園の時、多分運動会の前だったんだろう。わしは運動場に張られている万国旗の中に、そのクモの巣みたいな変った旗があるのに気が付いたので、松原先生に、どこの国の旗か聞いた事がある。先生はしばらく考えて、世界全部の国を表している旗だと教えてくれた。日本という国の概念すらおぼつかない、幼稚園児に聞かれても、説明に困っただろうが、当時我が国が国連に加盟して1年目だから、まだまだ一般的ではなかった時代に、なかなかうまいこと教えてくれたなと、今でも感心している。この松原先生も、ご健在なら80歳を過ぎているだろうと思うが、お元気だろうかと時々思い出す事がある。