無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10543日

 わしは酒も煙草も、親に隠れて17歳位から時々やっていたので、実は自分の子供等がそんな事にならないか、密かに心配していたところ、長女長男は問題なかったが、二男が煙草所持で警察に補導されてしまった。法律で禁止されているんだから、そんなものを持ち歩くという事自体、社会をなめていたということなんだろう。警察から、最近は個人情報保護の観点から、学校から聞かれない限り、学校の方に連絡する事はないと言われた。つまりこちらから学校に申告しなければ、停学になることはないということらしい。しかし、わし等夫婦は補導とはいえ、法律を犯して警察にやっかいになったんだから、自分で責任を果たすことを勧めた。

 翌日二男は自分から申し出て、一週間の停学になったが、他の一緒に補導された仲間は誰も停学にならなかった。一見、正直者が馬鹿をみるという結果にもみえるが、じつはそうではない。この件があってから、二男の態度に変化がでてきた。学校の事や友達のことなどを話すようになったし、友達を家に連れてくるようになった。実際に会ってみると、みんな明るい、礼儀正しい子等で、わしらはそれだけで安心した。両親が学校に呼ばれて、校長に謝罪するのをみて、何か感じたのかもしれんな。

 停学中は学校で謝罪文を書かされたらしいが、他の件で停学になった生徒も何人か同席していたらしい。その中の1人に自転車部の生徒がいて、二男はその生徒にいたく同情していた。その生徒はただ自転車が好きで、将来プロになりたいという希望があったので、ときどき競輪場に見に行っていた。勿論車券を買う事は無い。ただ自転車が好きで見ていただけで、補導されて停学とはひどすぎるだろうと、自分の停学は仕方が無いが、この生徒の停学はひどすぎると文句をいっていたな。

 二男の場合は、もともと真面目な性格で、高校の指導体制も充実していて、停学が良い方向に働いたといえるだろうが、一生を棒に振った人も見て来ている。法律で決められている以上、守らないといけないこととはいえ、考えてみれば煙草を吸ったとか吸わないとか、あと3年もすればどうでも良い事になる。ほんとうに些細なことだ。子供は禁止されているから粋がって吸うという面もある。なぜ高校生はだめなのだろうか。健康に悪いというなら20歳過ぎても同じ事だ。法律で禁止するなら、年齢ではなく喫煙自体を禁止にするべきだろう。高校生が煙草の一服で一生を棒に振るなんていうことは馬鹿げている。