無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10403日

 今日も快晴の青空の下、天皇皇后両陛下のご臨席を賜って、国体の開会式が行われた。途中で突然ブルーインパルスが飛んできたから、曲芸飛行をやるのかと思って見ていたら、編隊飛行しただけで飛んで行ってしまった。そういえば2日前の深夜、ジェット戦闘機と思える大きな爆音が聞こえて、それが何回も続いたから、これはてっきり朝鮮半島有事かと思ってしまった。それがおそらくブルーインパルスだったんだろう。

 わしは古事記を真剣に読み始めた去年の4月まで、愛媛という名前がそんなに由緒ある名前だとは知らなかった。伊邪那岐命伊邪那美命が最初に生み出した大八嶋国の1つで、その2番目の伊予之二名嶋の中の一つの面ということになっている。古事記の大八嶋成出の段(おおやしまなりいでのくだり)に「次に伊予之二名之嶋を生みたまひき。此の嶋は身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故、伊予の国を愛比売(えひめ)と謂ひ、讃岐国を飯依比古(いいよりひこ)と謂ひ..............」とあり、古事記に出てくる県名は愛媛だけだ。

 だからどうだということでもないが、わしは愛媛の由来について家や学校で聞いた記憶がない。戦後ずっと古事記なんかは神話にすぎないし、たいして価値のないものだという考え方が、知らぬ間に植え付けられてきたような気がしている。たいていの民族は、それぞれ誇るべき成り立ちの記憶を持っている。古事記こそが日本人の成り立ちの記憶であるにもかかわらず、戦後ないがしろにされてきた。おおげさな言い方かもしれないが、これは民族としてのアイデンティティの喪失につながるのではないかと思うようになった。

 64年前に四国4県共同で国体を開催したらしい。わしは1歳だったから、さすがに覚えてないが、メイン会場は、今は公園になっている旧陸軍第22連隊跡地で、ニュース映像を見ていると、鉄棒、平行棒、平均台のような体操競技まで、運動会みたいに屋外でやっていたんでびっくりした。しかしあの時代に選手の宿泊とか移動とか、連絡にしたってどうやってやったのかな。米も配給制だから、選手それぞれが米穀通帳を持参して来て、米の配給を受けなければならなかったはずだし、国道といってもトラック1台走れば離合もできないガタガタ道しかなかった。国民が生きていくのに精一杯の時代だったから、今では考えられないような苦労があったと思うが、先人が知恵を出し合って乗り越えたんだろう。

 わしが生きている間に国体が回ってくることは無いだろうが、映像で見る64年前の光景と今とを比べると隔世の感がある。おそらくこれから先64年後に生きているだろう孫たちが今の国体の映像を見た時も、わしが感じるのと同じように隔世の感を感じるのだろうか。今以上に何がどう変わるのか見てみたい気もするが、あの世から見るしか方法はないだろうな。