無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10017日

 先日ソニーリーダーから電子書籍購入用として200ポイント貰ったので、少し足してヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本 完全版」を購入して読んでみたが、これはなかなか面白い本だった。出版後すぐにマッカーサーが日本語翻訳禁止にしただけあって、ほとんどが米国マスコミのプロパガンダに左右されない、正しい歴史認識に基づいて書かれている。まだ終戦直後の1949年にこのような本が出版できるというのも、アメリカらしいと言えばその通りなんだろうが、さすがに当時の日本人には知られたくない内容だろう。

 ヘレンミアーズという作者は歴史学者らしいが、その後あまりぱっとしなかったということは、さすがに「自由の国」アメリカ国内でもたたかれたのかもしれない。勝手に他国の憲法を変えたり検閲をしたり、裁判という名で集団リンチをしたり、神の如き存在であったGHQのやり方にたいして、こんな冷静な本を出していたら国賊扱いされても不思議ではない。

 そんなヘレンミアーズのような人が関わっていてくれたらもう少しましなものになっていただろう日本国憲法だが、安倍内閣で改正ができるのかどうか、非常に興味があるところだ。日本国憲法は素人が一週間で作った憲法とか言われているように、世界の憲法をつぎはぎにしたようないい加減なものらしいが、占領が終わった後に無効にされることも改正されることなく、そのまま使われてきたということは、逆に言えばそれなりに利用価値があったともいうことかもしれない。

 よく話題になる憲法9条戦争放棄)にしても、今の時代にはそぐわなくなっているとはいえ、9条を理由にして朝鮮戦争ベトナム戦争等世界各地域で続いている様々な紛争に巻き込まれることもなく、70年間の平和にある程度貢献してきたことは間違いないことだ。そう考えると、憲法9条戦争放棄)はGHQからではなく日本人が発案した神界から思し召しだという相曾誠治氏の話も頭から否定することはできない。

 「審神者と大祓いの詞の神髄」p44に、本人の口から聞いたとして、憲法9条戦争放棄)について概ね以下のように説明されている。

 A項戦犯となった元駐イタリア大使、代議士の白鳥敏夫戦争放棄の原案を作り、それを1945年10月に首相に就任し、GHQの政策に従って憲法改正に取り掛かっていた幣原喜重郎のところに持っていった。幣原は白鳥の発案であることを極秘にしてGHQに提出したということで、この日本国憲法に書かれてある戦争放棄GHQから押し付けられたように世間一般では思われているが、実は白鳥敏夫の発案だった。

 古事記では伊邪那岐命伊邪那美命に暴言をあびても、挑発されても決して戦うことなく退却して難を逃れている。「戦ってはいけない」それは神界の教えであり、憲法9条戦争放棄は神界の思し召しだと相曾誠治氏は話している。わしも古事記神代巻もすでに131回読み返して、中身はほとんど覚えてしまったが、何回読んでもこの部分に来るといつもひっかるのが、この神界の思し召しだという話のくだりだ。

 本当かどうかなどということはわしら如きにわかるはずもないが、9条が現状の言葉では時代にそぐわないというのなら、その神界の精神を活かすために、より良い言葉を選ぶ作業が重要だと思うが、そんなことできる人間がこの世にいるのかどうかはなはだ疑問だ。