無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10381日

 午後4時を過ぎて、台風21号の風雨がますます激しくなっていている。ここまでひどくなると、これから投票に行く人は居ないのではないのかな。天気予報で、時間が遅くなるほどひどくなるということは、早くから周知されていたから、投票に行くつもりだった人はとっくに済ませているだろう。わしらは昼12時過ぎに済ませてきた。あと3時間ちょっとで開票が始めるが、この台風がどちらに味方するか、今晩は深夜まで寝られないな。

 今度の台風は伊勢湾台風に似ているそうだが、天記図を見てみると、そのコースは確かに似ているみたいだ。あれは昭和34年9月のある土曜日、わしが小学校2年生の時だ。全員校庭に集められて、大きな台風がこちらへ向かっているらしい、今から休校にするので、まっすぐ家に帰るように言われた。その頃は空は曇っていたが、まだ風もそんなに強くは吹いて無かったので、なんか儲かったような気がして、みんなでわいわいと話しながら普段通りに家に帰った。

 夜は瓦が飛ぶほど風は吹いたが、朝になって家の周りをみても、それほど大きな被害は無かった。大したことなかったなと思っていたら、実はコースが右にそれて愛知県へ向かったことにより、伊勢湾沿岸で大きな被害がでたということを翌日知った。富士山頂レーダーもない時代は、以前書いたように定点観測船や付近を航海中の商船からの情報しか頼るものが無かったために、コースの変化も今のように逐一伝わるわけではない。その点は洞爺丸台風と同じだ。しかも情報伝達はラジオが主流だったから、伝わりにくかったということもあったんだろう。

 今は戦後の公共投資のお陰で、どこに行っても立派な堤防や防波堤、波消しブロック等で守られているので、高潮の被害は激減したし、高潮という言葉自体知らない人も多いらしい。もしあのまま伊勢湾台風がこちらに来ていたとしても、この辺りでは高潮の被害は限られるので、あれほどの被害にはならなかったはずだ。今回の台風21号が伊勢湾に向かっても、前回のような被害にはならないと思うが、子供の時社会科で習った、あの地方にあった、集落を守るための輪中の堤防なんかも、道路で寸断されているらしいから、想定以上の雨が降ればどうなることやら。

 人間は自然の前では無力だということは、あのなすすべもなく流されていく町を、見ていることしかできなかった東日本大震災で、嫌というほど味わったはずだが。