無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10416日

 台風18号がそろそろここらあたりを通過するはずだ。外は風は吹いてないが、豪雨で庇からは雨が滝の様に落ちている。先ほど土砂災害警戒情報が出たので、危険地域に住んでいる人は避難したらしい。やっぱり、山のふもとや川の近くに住むのは、災害時には命懸けということだな。

 去年の春に、八木駅から日本で一番長い路線バスに乗って、熊野大社から新宮市まで行ったとき、熊野川沿いの国道を走るバスの車窓から、6年前の水害の後と思える、山肌が山頂近くまで大きく抉られた無残な光景があちこちで見られた。あの頃はニュースで見て、ひどかったんだろうなということは頭ではわかっていたが、実際に見て、あの大きな熊野川が氾濫するなどということが、とても信じられなかった。

 幸いうちの周辺には大きな川もないし、山からも海からも離れているので、水害や高潮、山崩れの心配はしなくていいのでその点は気が楽だ。それにこの辺りは夏は雨が少なく、台風が運んでくる雨は恵みの雨で、これがなければ干上がってしまう。だから台風の少ない年はダムも空になり、1994年には24時間断水になったこともあった。したがってここ瀬戸内では台風は決して悪ものではない。

 政治家には先を見る目が大切だが、ここの市は50年ほど前に、先をみることができない政治家によって、大きな水利権を失っている。○河ダム建設にあたり、農業用水は確保したが、上水の供給に関しては、市が費用負担を懸念して、断ってしまった。当時は人口15万くらいで、市内の井戸には豊富な地下水がわいており、必要ないと判断したんだろう。まさか50万を超えるとは想像もできなかったんだろうが、このミスのよりその後ずっと渇水に悩まされて続けている。

 1994年の渇水時も、大きな送水管には農業用水がごうごうと音をたてて流れていた。この時は知事同士の話し合いで、特例的に転用が認められて、上水として利用できるようになり、おかげで住民も生き返った。この時わしらも水利権というものの厳しさを身をもって知ることができたとともに、当時、市が水利権を買わなかったという事実と、これから買うことはできないという事実を初めて知ることになって、おおいに驚かされたものだ。

 さあ、少し風が出てきて横殴りの雨が窓ガラスをたたいている。午後3時が豊後水道辺りだから、あと1時間ほどで通り過ぎるはずだ。災害が起きないことを祈っておこう。