無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10369日 幸せはそこにある

 長男が買った古家の前の持ち主が親切な人で、エアコンや家電製品でいるものがあれば置いて行きますよと言ってくれた。エアコンも5台設置されていて、2台はまだ新しい物だし、台所にあったヘルシオもいらないと言うので、これはうちがいただくことにした。ヘルシオというのはわしもよく知らなかったんだが、結構高いものらしい。大きなテレビもあげますよと言ってくれたが、さすがにこれは最後に点検に来た弟さんが欲しいと言って持って行ったそうだ。

 前の持ち主は80近いおばあちゃんで、華道の先生をしながら1人で住んでいたが、健康に不安を覚えるようになって、東京に住む妹さんの家に同居することにしたらしい。それで家を売ろうとしていたが、60年近く両親と住んだ、思い出のある家なので、できれば業者ではなく普通に住んでくれる人に直接売りたいという思いがあったようだ。開発業者はもっと高い値段を提示していたらしい。

 最初に不動産屋さんんと一緒にお訪ねしたとき、すでに相場より少し安かったにもかかわらず、長男がもう少し値下げをしていただけませんかとお願いしたら、その場で100万円値引きしてくれた。これにはわしも驚いた。あまりお金にこだわらない鷹揚な人で、聞いてみると、お父さんがこの辺りでは一番大きい銀行の役員をされていたというから、そういう育ち方をしてきた人なんだろう。

 長男も、新築ではなく全棟リノベーションということで、柱や瓦はそのまま利用することにしているので、そこらあたりも気に入ってくれたのかもしれない。来年は法事でこちらに帰ってくるらしいから、完成した家にも是非立ち寄ってほしいと伝えてあるそうだ。このように、自然と良い人たちに巡り合えて、話がいい方向に進んでいくことは本当にありがたいことだ。決して無理をせず、間違ったことをせず、家族仲良く、身の丈に合った生活を続けていくことが幸せだと感じることができれば、幸せもまた、向こうからやってくるような気がしている。