無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10219日

 以前から言われていたことだが、町内会長になって町内の住民の高齢化を改めて思い知らされている。昔から続いてきたこの町内会の制度も、それほど長くは続かないのかもしれない。住民にとっての一番の負担は分別ごみの管理で、ここの市は、資源ごみだけでも、プラスチック、ペットボトル、水銀、金・ガラス、紙類、埋め立てと6種類に分かれており、更に週3回可燃ごみの日が指定されている。何を可燃ごみで捨てればいいのか?プラと可燃の違いは?分別するたびに様々な疑問がわいてくる。

 町内会の住民ならゴミ出しルールはきちんと守るが、学生やアパートの住民は知ってか知らずか、分別を守らないことが多い。更には、よその町内から持ってくる人もいたりして、収集車が去ったあと、毎回かなりのごみが残されている。ここの市のごみ収集車は、きちんと分別してないゴミは持っていかないので、その処理は町内会が行うことになっている。当番に当たっている組長が、残されたゴミを分別し直して、次の収集日に出すという作業が何十年も行われてきた。

 しかし、考えてみたらこれはおかしな制度で、ゴミの処理は本来市の仕事のはずだ。住民の善意に甘えすぎてはいないか。更に高齢化でそれを担ってきた人達が、だんだん減ってきているという現実は避けて通れない。そこでうちの町内会では、4月から町内の人全員に呼びかけて、組長だけがやるのではなくて、資源ごみのカレンダーに沿って、すべての世帯が日替わりで担当するという方法に変更した。こうすることで、高齢者を免除することが可能となった。

 今、そのための一覧表作成作業がやっと終了して、ほっとしているところだ。3月半ばに町内会長になって、いろんな人達と話しをする機会が増えた。最早引きこもっている暇はない。ほとんどの人は、わしが子供の頃からお世話になった人たちで、今度はそのお返しをする番になったということだ。最近思うんだが、見返りを求めずに、元気で人のお世話ができるということは、本当に幸せなことなのではないのだろうか。人からありがとうと言ってもらえることが、こんなにうれしいことだということを、この歳になって初めて知った。人との関わりというのは、いろんなことを気づかせてくれる。

 わしも元気に動けるのは、あと10年ちょっとだろう。最後のご奉公としてはこれもいいのかもしれない。