無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8185日 Aさんに幸あれ

Aさんについてもう少し思うところを書いてみよう。4年前に前委員から引き継いだ独居高齢者は15名いたが、そのうち3名が亡くなり2名が老人施設に入居した。仕方がないこととはいえ、民生委員としての期間が長くなり付き合いも深くなるにつれて見送る寂しさも増してくる。

Aさんはもちろん人生の大先輩でもあり、本人や近所の人から聞いた限り、かなり苦労された方のようだ。娘さんが一人いるが、結婚して県外に住んでいるため面倒をみてもらうことはできなかった。しかし、娘さんは気にかけて有料無料の福祉サービスは受けていたし、夕方6時に必ず電話をかけて安否確認もしていた。耳が遠いので呼び出し音が聞こえないので午後6時に電話を取ると決めていたようだ。

「自分の親をほったらかして亭主の親の面倒をみるのはおかしい。」と近所の人に話していたそうだが、たしかに同じ独居高齢者でも子供が近くにいるのと県外に住んでいるのとでは状況は全く違ってくる。元気なうちはそれほど感じなくても弱ってくると子供の存在は大きくなることだろう。子供と過ごした楽しかった日々も思い出されてくることだろう。

私の両親も私が帰ってくることを望んでいた。兄は自衛隊で全国異動していたので早くから諦めていた。32歳の時に転職話を断って帰ってこなかったら、母親が亡くなったあとに残され父親はAさんと同じ状況になっていたはずだ。もしもあの頃、「親のことは気にしなくていいからどこにでも行って好きなことをやれ。」とでも言われたら、おそらく帰ってくることはなかったかもしれない。しかし親はそれは言わなかった。強がらず正直だったと言えるのかもしれない。

Aさんはどんな気持ちで娘を見送ったんだろう。つらかっただろうし言いたいこともあっただろうが、娘の幸せのために我慢したことだろう。今日Aさんのケアマネさんが来て、Aさんの御主人が入っていたのと同じ施設に入ることができたこと、その施設にはそのことを知っている人が大勢いて迎え入れてくれたということを話してくれた。

新しい環境に慣れて、残された時間を今度は自分の幸せのために、少しでも長く楽しく過ごしてほしい。