無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

親の貧乏話(あと9993日)

私の両親は、子供に家計に関する弱みを見せることはしませんでした。厳しいこともあったと思いますが、金銭的苦労は夫婦二人の胸の内に収めておいたのだと思います。大正生まれの人たちはそうなのかもしれません。

 最近父の昭和30年代からの給与明細を整理していて、よくこれで親子4人が食べていけたものだと驚かされました。それくらい給料が少なかった。

私が昭和48年に22歳で外国航路の船乗りになった時、母が、父の月給を超えたと話していたのが事実だったこともわかりました。

しかし、大金を持った22歳の時、親に何かをしてあげようとか、助けてあげようとか、そういう気持ちは全く起きませんでした。今から思えば信じられないことですが、子から親に援助するという気持ちは全くありませんでした。

そもそも親が金銭的苦労をしたことなどほとんど知らずに育ったのですから、それも仕方なかったのかもしれません。

逆に私達夫婦は家計の苦労をオープンにして、更に尾ひれをつけて子供たちにもよく話してきました。

その貧乏話が効きすぎたのか、7年前に、就職した長男が仕送りをしてきた時には、夫婦で腰が抜けるほどびっくりしたものです。

最近の若者はえらいなあと感心するとともに、若い頃の自分の不甲斐なさを情けなく思い出したことでした。

苦労を感じることなく育ててくれたことは、それはそれで有り難かったと思いますが、その一方で、ある程度大きくなったら、たまには貧乏話をして親の苦労を子供にもっと聞かせたほうがいいのかもしれません。