無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9909日

2日前の午後3時ころ、犬の花子が突然歩けなくなった。7年前にも後ろ足が動かなくなったことがあったので、いつかは再発するのではないかと心配はしていたのだが。

前回の時は前足は健在で、座ることも、いざって歩くことはできたが、今回は首から下全体が弱っているようで、座ることもできない。

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昨日行った動物病院で、10歳と言えば老犬の部類にはいるので、前回と同じように考えてはいけない。今回は全身にきているので、ひょっとしたら永久に動けないかもしれないし、最悪死ぬこともありますと言われた。

動けなくなる前の夜、布団の中に入れてくれとばかりに鼻を擦りつけてきた花子を、眠たいので入れてやらなかったのが悔やまれてならない。

まだ回復する余地はあると信じたいが、もし死ぬことがあっても花子はうちに来て幸せだったと信じている。花子も一生懸命生きたし、私も女房も、子供たちも家族の一員として大切に思ってきた。

回復を願っているが、たとえ寝たきりになっても、もう少し生きて傍にいてくれるだけでうれしい。

動けない花子を見ているのは辛いが、より長生きをするということは、辛いこと悲しいこともより多く受容しなければいけないということなんだろう。

 

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元気な頃の花子

 

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初めてのカットの日、耳にリボンをつけてもらった