無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9645日 孫7人と少子化

子供等が小さいときは、子供等を養うために仕事をするという、大きな目的が確かにあった。その子供等もすでに成人して家庭を持ち、孫も7人できた。7人もいると名前がすぐに出てこないこともある。

社会の役に立ちたいなどとたいそうなことを考えたこともなかったし、実際たいしたことはしてないが、孫が7人いるということで多少は社会の役にもたったかなと、ひそかに満足している。町内会でも同窓会でも、孫7人の話をすると驚かれるから、少子化は進んでいるようだ。

しかし、7人いると誕生日なんかも大変なことになっている。初孫の誕生日祝いで1万円あげて以来、2人目3人目くらいまでは気にならなかったが、4人目、5人目になるとさすがに響いてきた。

そして7人目が生まれた今年、とうとう5千円に改めた。

昭和20年代30年代、子供があれほどたくさんいたのに、彼ら彼女ら大人になったとき、なぜ子供を昔のようにたくさん作らなかったんだろう。もちろん金もかかるし、普通のサラリーマンにとっては大きな負担にはなる。

子供のために自分たちの生活を犠牲にしてきた、明治大正生まれの親の生活を見てきたはずの団塊世代が、自身の豊かさを追求した結果であるのかもしれないが、もとをただせば、戦後日本人がGHQパンとサーカスにまんまといっぱい食わされたということだろう。

女性に子供を産んでくれというだけでたたかれるという、今の時代ではあるが、そんなことを言って騒いでいるのは本当は少数だと思っている。サイレントマジョリティーはできれば子供が欲しいと思っているのではないだろうか。

それを阻むのはやはり経済的な問題だろう。

しかし高校までの教育費が無償になったからといって、果たして経済的に厳しい状況で子供を産む気になるだろうか。

子育て家庭で一番うれしいのは自由に使える現金で、それも、どこに行ったか分からないような額の児童手当ではなく、一人産んだらその子を20歳まで養えるだけの額の年金を20年間だすとか、思い切ったことを考えられないのだろうか。

金がないのなら建設国債ならぬ人材国債でもだせばいいとおもうんだが。これで将来への展望が開け、子供が増えて日本国将来の礎が盤石になると思えば安いものだ。

.....直接現金を配っても票や利権に結びつかないから、絶対やらないだろうな。