無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9312日 まだあげ初めし前髪の................

先月のことだが、部屋の掃除をしていると古びた小さな段ボール箱が出てきた。何が入っているのかと開けてみると、40年近く前に東京で仕事をしていた頃の懐かしい品々が出てきた。

母親や友人から来た手紙類、送別会で友人たちからもらった寄せ書き等、こんなものが良く残っていたものだと感心してしまった。

捨てられない性格というのも困ったもんだと思いながら、中身を確認しているときに、ふと、「あれ」を捨てずにどこかにしまってあることを思い出した。その「あれ」は人には見られたくない。東京を引き払う時に処分しようと思ったが、ゴミとして出すのも嫌だったし、燃やす場所もなかったので、こちらまで持って帰ったことまでは覚えている。しかし、その後処分した記憶はない。

その「あれ」とは、正確に言えば今から48年前、まだ20歳の春に、残雪の残る信州のとある町の、リンゴ畑に連なる道で出会った、2歳年下の美しい女性、H子さんからの手紙である。会ったのはたった1日で、お互い住所を交換して別れたように覚えている。残念なことに、今となってはそのことが果たして夢か現か、どこまでが夢で、どこからが現なのかわからなくなってきている。

 

 まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり


やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

 

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな


林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

 

信州、リンゴとくれば、藤村の「初恋」はこの物語にはなくてはならない装置だったのかもしれない。当初この夢の世界とだぶらせて、美しい世界を夢想していたのも事実だ。その後、半年ほどしてもう一度、今度は東京で会うことがあった。しかし、あわただしい現実は、もう夢の世界ではなかった。そこにあるのは楽しく、美しいものばかりではない。残された手紙とは、信州で別れて東京で再会するまでの半年間の夢の記録でもあるはずだ。

 全部で30通くらいはあるだろうか。私もそれくらいは書いたということになるが、その多くは近況報告とか、その日に気が付いたこととか、たわいないことだったような気がする。せっかく48年間蓋をしてきたものだから、今更思い出しても意味はない。夢の世界に浸るには年をとりすぎた。幸いシュレッダーがあるので、探し出して誰の目にも触れないうちに処分するのが吉だろう。