無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8840日 浦島太郎

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

晦日の零時を回ってから新年の祝詞をあげて今年も始まった。そこまでは良かったんだが、なんと去年に続いて今年も元旦の国旗掲揚を忘れてしまった。

さて今年は、去年の年末に気が付いた肉体的老化が精神に及ぼす影響について実証してみようと、元日から山登りを始めた。「あと9038日ジャカランダに導かれて」にでてくる海抜157m千秋寺山だ。登れるかどうか心配だったが、案ずるより産むが易しということか、難なく登ることができた。過去6年間やってきた室内歩行毎日5000歩というのもそれなりに効果があったのかもしれない。

これは毎日続けるとして、年末に面白いものを発見した。我々の年代のものは、若い頃女性にせっせと手紙を書いたものだが、どれもそんなに長くは続かないし、終われば捨ててしまった。ところが、押入れを整理中に段ボールの底から手紙の束が出てきたのだ。

差出人は当時川越在住だったHSさんだった。20歳の時、雪の残る3月に長野で出会い、リンゴ畑の傍の道で別れた後、3年ほど文通したことを思い出した。

50年ぶりに1通取り出して読んでみたがこれが面白い。まるで浦島太郎のような感覚で新鮮な感動を覚えた。しかもHSさんの文章が上手なので非常に読みやすい。確か2歳年下だったからご健在なら今68歳のおばあちゃんになっているはずだ。

他の人からの手紙は残ってないのにHSさんのだけが残っていた理由として考えられるのが、その量にあるのかもしれない。おそらく東京を引き上げる時に処分しようとしたが、シュレッダーがあるわけでもないし、30通ほどあるのでゴミに出すのも気が引けるので、こちらに帰ってから処分しようと段ボールの底に押し込んだものだろう。そしてそのまま忘れてしまった。

その晩はもう1通読んだところでやめにした。面白いんだが、これがこちらのどんな手紙に対する返事かなどと考えるようになると、目がさえて眠れなくなってしまいそうだ。女性からもらった手紙を50年ぶりに読み返すという経験は誰にでもできることではない。普通はすぐに処分するはずだから、当然HSさんもとっくに処分しているだろう。

私のなんでも溜め込むという性格も影響したのかもしれないが、この偶然手に入れた稀有な体験をもう少し続けてみたい。