無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9372日 領事館閉鎖

アメリカがヒューストンのチャイナ領事館を閉鎖すると、その報復としてチャイナが成都アメリカ領事館を閉鎖した。チャイナでは土地所有は認めれれてないが、チャイナが明け渡したということはアメリカでも領事館の土地建物の所有権は認められてないのかな。

日本では新潟でも問題になったが、所有権を登記できるようで、面倒なことになるのではなかろうか。まあ、そんな命令をだせる骨のある政治家は一人も居ないだろうから、気にする必要もないのかもしれんが。

4年くらい前になるのかな。今にもアメリカが北朝鮮を攻撃するような雰囲気の中、手持ちの株を全部処分してしまった。幸いなことに戦争にはならなかったが、その後株は上がり続けて大損をしたというお粗末な結果になってしまった。

今回は戦争の可能性というより、すでに領事館閉鎖という戦争状態になっているんだが、あの時と比べても世間の雰囲気はのどかだ。

尖閣に100日居座られても、沖ノ鳥島にひと月居座られても、拿捕できる法律を今から作って対応するというのどかな景色。

同盟国アメリカが戦争状態になっているのに、未だに敵国の元首を国賓待遇で呼ぼうとするのどかな景色。

まさに外資が引き上げようとしているアメリカの敵国に、今からもっと投資しようとするトヨタパナソニック他が醸し出すのどかな景色。

TikTokを推奨する自治体、ファーウェイを売り続ける電話会社ののどかな景色。

この75年間、嫌も応もなく日本はアメリカと共にあった。無理難題を吹っ掛けられたり、いろいろ絞りとられもしたが、それ以上に得たものもたくさんあった。アメリカの国益にかなう国にはそれなりの利益も付けてくれたということか。

逆に、国益に反する国に対してはひどい扱いをしてきたのも事実だ。今の状態で日本がどのような行動をとるべきかは明らかだろう。

戦史を少し読めばわかることだが、大東亜戦争で戦った日本は、アメリカの物量はもちろんだが、そのずる賢さや残虐性においても、とても太刀打ちできなかった。一致団結したときのアメリカの怖さを過少に評価してはいけない。

80年前、鉄も石油もアメリカに依存していながら真珠湾を攻撃した日本は叩きのめされたが、チャイナはどう始末されるか。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というが、いまのチャイナのやり方をみていると、歴史に学ぶことなく、所謂真珠湾攻撃的なことをやってしまうのではないだろうか。見てみたいような気もする。

あと9377日 ささやかなチャイナフリー

今朝今年初めてクマゼミの鳴き声が聞こえてきた。2016年は7月14日、2017年は7月18日、2018年は7月18日だったから、だいたい季節通りということかな。2019年の手帳には記録がないので忘れたんだろう。忘れていても季節が予定通り巡ってくるということはありがたいことだ。

その自然のやさしさには大いに感謝しなければならないが、それにしてもうまくいかないのが人の世だ。せっかくの国からの特定給付金10万円も、女房に生活費だからと召し上げられてしまった。

マイナポイントも、ワオンを選択すると2000ポイントよけいにもらえるのでそれを選ぶように指定された。ワオンカードなんか持っていてもマルナカでの普段の買い物しか使い道がない。自分で買いたいものもあったのでクレジットカードにしたかったが、直ちに却下されてしまった。しかも作ったワオンカードも回収されてしまった。

生活費にあてるといわれたら、「やかましいわい。」と文句を言えるほどの強い立場ではないのがつらいところだ。

先月1つだけすっきりしたことがあった。2年前に楽天モバイルを契約したとき、安さにつられて購入したファーウェイnova lite2から足を洗えたことだ。勿論一人くらいファーウェイを使うのをやめたところで、屁のツッパリにもならないのはわかっているが、個人でできるささやかなチャイナ・フリーという気持ちの問題だ。

で、OCNモバイルの1円セールでarrowsM05を購入した。

ネットでみると評価はそれほど高くないようだったが、1円だからまあいいだろうと、実際使ってみると別に何の問題もない。クソだ何だと書き込んでいるのはどういう人たちなんだろうな。

最初にシムを装着するときにチョット戸惑った。小さな穴にピン刺そうとしても全く穴に入らない。通常は先が少し入ったところで、強く押すと出てくるはずだが、このarrowsM05は先が少しも入らない。果たしてこのまま突いていいのかどうか迷った。

そこで、書いてあった連絡先に電話してみた。

オペレータがでたので、事情を説明すると「同じものを用意しますのでしばらくお待ちください。」と言って席をはずした。

そして、しばらくして「今やってみましたが、少し硬いですがそのまま突けば大丈夫です。やってみてください」と返事があった。

「わかりました。やってみます。」

少し強く突いてみたが、全く進まないのでまた不安になった。

「硬いけど本当にこのまま突いていいんですか?壊れたりしませんか?」

「大丈夫です。突いてください。」

「突きますよ。」

「はい、そのまま突いてください。」

その言葉に元気付けられて、エイヤッと一突きするとすっと出てきた。

「あっ、出ました出ました。最初硬いけど出ました。」

「出ましたか。それはよかったです。」

オペレータの女性も笑っていたが、思えば何とも不思議な会話だった。

さらに、NTTグループカード支払いで1年間毎月500円キャッシュバックというチラシも入っていたので、早速カードも作った。

しかしこんなに大盤振る舞いしても、OCNモバイルが損をすることがないんだとしたら、それも不思議なことだ。

あと9389日 平成6年渇水

7日の夜はスマホの警報が鳴ったり、スピーカーから流れる避難指示、更には雷鳴まで加わって何回も起こされた。ここはもともと自然災害が少ない住みやすいところで、台風もほとんど来ないし、たまにやってきてもその多くは「口ほどにもなかったな。」と過ぎ去った後に笑われるのが関の山だった。

瀬戸内は水が少ないので雨は降ってもらったほうが良いんだが、水瓶と呼ばれている近くのダムは小さなバケツのようなもので、そんなに貯めることができない。いくら降っても多くは海に流れてしまう。

もう一つの水源である地下水の方は、降れば降るほど水位が上がってくるので、いくら降っても無駄にはならない。ただ、この豊富な地下水があったことが、人口がこの60年で4倍になった今になって、水不足を引き起こしているんだから皮肉なものだ。

当時の市の責任者は人口増加を予測するできなかったんだろう。地下水があるので飲料水が不足することはないとして、建設されるOダムの飲料水の水利権を買わなかった。工水と農水は購入していたので、平成6年の渇水時にも導水管を通ってごうごうと流れてきていたが、いくら流れていてもこれを上水道に使うことはできなかった。

さすがに断水が1日19時間になると、住民の生死の問題になってくるので、超法規的措置として、導水管から一度川に流して、その水を取水口から取り入れるということをしてなんとかしのぐことができた。

近くのダムの水も完全に干上がり、死水いう言葉をこの時初めて聞いた。底にたまった水のことをそう呼ぶらしいが、最初ニュースでは「しにみず」呼んでいた。縁起でもない呼び方でちょっと話題になった。その後「しすい」となり、更に底水(そこみず)呼ぶようになった。

給水制限は4か月に及んだが、そのうち8月22日から2か月間は19時間断水だった。これに懲りた市民は以後節水に努め、上水道の使用量は大幅に減少した。これで市も市民もウィンウィンでめでたしめでたしというところなんだが、これが水道料金値上げにつながったんだから、世の中うまくいかないものだ。

あと9410日 武漢コロナが変えたもの

武漢コロナの影響はいろんなところに出てきている。その一番大きな出来事は、戦後築き上げてきた世界秩序の崩壊ではないだろうか。

人類史上最強国家でもあるアメリカの今の状態を誰が予想しただろうか。しかし、アメリカはいったん決断すれば、アナーキストコミュニストをいつまでも野放しにすることはないだろう。

大恐慌にも匹敵するような不況がすでにやってきているが、リードできる国はどこにもない。そんな中、遅れてきた帝国主義のチャイナは一見自信満々で、国内を強権で抑え込み、他国領土をかすめ取ろうと動いている。

この国は昔からロビー活動が得意で、戦前は我が国もしてやられた苦い経験がある。しかし今回はアメリカ議会ではあまり成功してないようだ。大日本帝国の轍を踏むつもりか。踏んでぶっとんでもらったほうが、世界平和には貢献するだろう。

また、一部勢力には都合のよい隠れ蓑として利用してきた、国連という組織の軋みも見逃せない。ここにもチャイナが影響しているようだ。組織に金を出すよりは個人に出す方が効率的なことは誰にでもわかるが、大っぴらにそれをしないのが暗黙のルールだったはずだ。

日本は覇権を求めているのはけしからん、中国は覇権は求めないなどと、昔、周恩来が吠えていたが、今はその力が無いから求めないが、力が付けば求めるよ、ということの裏返しだろうことは当時の高校生にでもわかっていた。

力を蓄え、今その時が来たと思ったんだろうが、それが正しい判断だったかどうか、近いうちに結論がでるだろう。

世の中、個人も組織も国家であってもすべて信用で成り立っている。もしそこで信用を失えば、すべてを失うことは自明の理だ。経済的に裕福であればそれほど意識されることも無いが、世界経済が収縮してみんな貧乏になればそうはいかない。その時信用の持つ価値が輝いてくる。

金も人も物も動かない、これからの時代はまさにそういう時代の到来であるともいえる。グローバリズムの終焉とナショナリズムの勃興だ。そこに欠かせないのが、その信用を担保する軍事力ではないだろうか。

小田原評定で日本は大丈夫か?

 

あと9418日 自分に認められること

毎日これといって面白いこともないが、時間だけが過ぎていく。やらなくてはいけないことも無くはないが、今やる必要はない。頼まれていたポテトサラダも午前中に作ったので晩御飯の支度もできた。昨日受け取ったままになっていた回覧版も、持って行ったし、さて今日も終わりかなどと考えている。

そうそう、今日は紙ごみの収集日なのでついつい置き場を見てしまった。すると段ボールが、ばらさずに箱のままで5~6個乱雑に置かれていた。多分学生の仕業だろう。ルールぐらい守れよとちょっとイラッとした。

これも見なければ気にもならないんだが、町内会長だった時の癖がまだ抜けてないようだ。しばらくして収集車が来たので見ていたら、全部持って行ってくれたのでほっとした。

言ってみれば、このゴミ出しトラブルが今日のクライマックスかな。平坦な生活だ。

5時過ぎになると、終日雨も降っているので、車で女房を迎えに行かなくてなならない。世間の人が働いているこの時間帯に、のうのうとこんなブログを書いておれるのも、女房の稼ぎがあるからで、お迎えくらいはお安い御用だ。

そんな平坦な生活に時々カツを入れてくれるのが、去年の12月から、民生委員の業務で月に2回ほど回っている独居老人の皆さんだ。だいたい女性は話の好きな人が多いし、話も面白い。同じ話が何回も繰り返されるのはよくあることだが、生命力を感じさせられる。本当にあやかりたいものだ。

皆さん、若いときから家族のために一生懸命働いて生きてきた人達だ。話していてもそこには迷いが感じられない。もちろん、80年、90年過ごしてきた人生だから、探せば心の奥にはいろいろあったのかもしれないが、それらのことも些末な存在になるのだろうか。

そこらあたりはよくわからない。私は今68だが、まだそういう心境にはならない。これは年齢の問題ではなく、男女の違いなのかもしれない。

この人たちと話していると、面白いとか、つまらないとか言わずに、生きるために働き、その生きてきた人生を自分自身が認めていることがよくわかる。

時々「○○さん、まだ若いからうらやましいよ。」と言われる。予定通り94歳まで生きるとすると、まだ26年残っているが、今まで、生きるために一生懸命働いたという意識はない。

仕事を辞めて5年目に入ったが、どんなきれいごとを言ったところで、自分をだますことはできないということだけはわかってきた。自分に認められなければ何の意味もない。

あと9429日 ツイッターをぶっ飛ばせ

ツイッターのアカウントを突然停止されて、その理由も明かされないという経験をされたかたもかなりいるようだが、そのツイッターが、とうとうトランプ大統領にいちゃもんを付けてしまった。

それに怒ったトランプさんが、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)企業に与えられている免責による保護を制限する大統領令に署名したらしい。

ツイッターなどのSNS企業は、ユーザーの投稿に対する責任を免れていたが、今後はその免責をなくすということのようだが、そんな都合のいい免責条項があったのを今回初めて知った。

確かにSNSのような事業は、投稿の内容に責任をとらされていたら、訴訟の連発で運営できなくなるかもしれないが、免責を与えるというのは、中立的な運営ができているということが前提になることだろう。

しかし、その中立的な運営が難しい。意見が別れることや、感情的な食い違いなどについて、SNS側が一方的に内容を規制するということは、SNSの担当者が裁いていることになるのではないか。それは中立ではない。

トランプ大統領が言っているように、リベラルや民主党よりの意見に偏っていたとしたら、免責による保護を与える対象ではないということになる。日本のマスコミはトランプ大統領嫌いだから正しい報道は期待できないが、そんなものに頼らなくても幸いネットでは生の情報が入ってくる。ほんとうに良い時代になったものだと思っている。

この問題はネット社会が孕んでいる大きな問題を表面化したのではないかと思っている。誰でも発信できるということは、マスコミの編集から逃れて、取捨選択する権利を個人が取り戻したという点では大きな意味がある。

その一方でさじ加減一つで、誰にでも容易に大衆を扇動することができるということでもある。結局正しく利用するには一人一人が利口になるしか方法はないのだろうが、そんなことは不可能だ。

そのような統制しようのない大きな力を1民間営利企業に持たせ、その営利企業の中に雇用された1民間人に決定権を持たせて、その結果に対しては免責というのはやはりまずいのではないかと考えるのは私だけでないだろう。

子供の頃見た西部劇の主題歌に「♬レンジライダー~ レンジライダー、正義のおとこ~♬ ひとたび怒れば火をはく鉄拳~~♬」というのがあったが、まさにこの心境だ。

さすがトランプ大統領 ツイッターをぶっ飛ばせ!!

あと9435日 ノンリターンバルブ

去年の12月に民生委員を引き受けた頃、担当地区のお年寄りと感染症予防の話をしていた時「もう、インフルエンザになって死んでもいいんですよ。」と話す人がいた。まだ80歳にもなってないのに、そんなことを言わなくてもいいのにと思って、思わず「インフルエンザになって肺炎で呼吸困難で苦しんで窒息死するよりも、どうせ死ぬんならガンで死んだほうがいいですよ。」と言ってしまった。

ちょっとまずかったと思ったがもう後の祭りだった。これは怒られるかなと観念していると意外なことに「そうですか、インフルエンザはそんなにしんどいんですか。それならインフルエンザで死ぬのはやめときます。」と言ってにっこり笑ってくれた。

年をとって1日中1人で家にいるといろいろ考えてしまう。このお年寄りだけではなく、私自身も自分がこの世に生きていなくてはならない理由が見つからないこともある。じっさい私が今死んでも誰も困らない。ちょっと困る事と言えば、遺族年金になるので、女房が受け取る年金が減るぐらいのことぐらいだろうか。

要するに、すでに役割は終わっているということだ。

仕事を辞める前には、定年後の生活は、子供にとっての長い夏休みと変わらないように安易に考えていた。あの頃は朝起きると、さあ今日は何をして遊ぼうか、プールに泳ぎにいくか、ため池に釣りに行こうか、山に蝉取りに行こうか、Tちゃんとキャッチボールしようか、考えるといろいろ楽しかった。

しかも子供の夏休みには嫌な宿題があったが、定年後はそれもない。いいこと尽くめのはずだった。しかし現実はそれほど単純なものではなかった。すでに4年間の長い休みを経験した今言えることは、「子供が年を取って老人になる。これは肉体的には正しいことだ。確かに子供の延長線上に老人がいる。しかし、精神的にはそうではない。両者は全く別のものだ。」ということだ。

子供は早く大人になりたいと思い、そして大人になることができる。大人になるということは死が近づくことでもあり、両親との別れもあるにもかかわらず、それでも子供は大人になりたいと思う。そこには死へ向かうという意識はない。

その精神的成長の過程にはノンリターンバルブのようなものが設置されているに違いない。その勇敢な子供時代とさよならをして、そのバルブを越えて精神的に死へ向かったのはいつの頃だったんだろう。