無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10846日

 古事記神代巻を10回読んで、今11回目だが、思ったほど進んでないんだな。11月3日までに100回はちょっと無理かもしれんな。それでも10回繰り返して読んだあたりから、ときどき不意に神の名が頭に浮かんでくるようになった。気のせいかもしれんが、少し身近になったような気もする。無意識のうちに少しは理解がすすんでいたらいいんだが、よくわからんな。頭の中で古事記がしめる割合は大きくなったのかもしれん。

 古事記も元々は音で伝えられたもので、その音に支那から伝わってきた漢字をあてたものだから、意味が変ったり、全く別のものになったりしているところもあるようだ。相曾誠治氏は言霊で読まなければその本当の意味はわからないとして、講演のなかでその読み方を少し紹介されている。わしら凡人がそれを読んですべてがわかるなんてことはあり得ないが、そういう読み方があるのかとわかっただけでも、大きな進歩といえるんじゃないかと、自分で納得している。

 例えば、九州高千穂の峰近くに韓国岳というのがあり、わしはなんでここにこんな名前の山があるのか、古事記を読むまで知らなかった。相曾誠治氏によると、これは「そじしのからくにをかささのみさきにまぎとほりてのりたまわく........................」の「からくに」に韓国という漢字をあてたものだが、言霊で読むと「からくに」ではなく「むなくに」が正しく、もともと空国と漢字をあてていたのが、後になると、もともとの音を忘れて「空国」を「からくに」と読むようになり、さらに「からくに」に韓国があてられたということらしい。

 言霊恐るべしだな。わしには理解できる日がくることは無いとは思うが、100回読み返せば理解の端緒ぐらいは掴めるかなと少しは期待している。