無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10778日

 最近、ここらあたりを回っているクロネコヤマトの宅急便は、二人で配達しているようだな。一週間ほど前にうちに宅配があった時、若い女性が持って来たので、女性が1人で配達するようになったのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。先ほど、わしがいつもの7000歩の室内歩行をしていると、クロネコのトラックが停まり、運転席から男女二人が出て来た。そして女性が荷物を持って隣の家に配達し、男性はあちこち配達の電話をかけているようだったが、男性はここらを担当しているいつもの人だったな。しかしなんか声が明るく感じたんだな。

 以前に時間指定していたクロネコの宅配を待っていた時、うちの前に停まったんだがなかなか車から降りてこない事があった。しばらくして配達してきたので、こちらも冗談で、時間がかかったねというと、そのドライバーが「すみません、今、お客さんと電話していて、ひどいこと言われて落ち込んでいたんですよ。」と疲れた顔で話した事があった。其の時と同じドライバーだと思うが、やっぱり今日の声は明るかったな。配達は1人よりは2人の方が楽だろうし、さらに相棒が若い女性だと尚更だろうな。

 宅急便は利用者にとっては便利だとは思うが、これほど利便性を追求する必要があるのか、わしは疑問に思うな。1日や2日でに届かなくても4日や5日かかってももいいし、なにも送料無料にしなくても、適正料金をとればいいんじゃないのかと思うがな。そして宅配ドライバーの待遇を改善しろよといいたいね。

 わしは学生の頃、本の配達のアルバイトをやったことがあるが、個人への配達は大変なわりには金にならないんだよな。自転車の荷台の箱に本を詰め込んで一軒一軒配達するんだが、畑の中が虫食い状態に宅地になっているような田舎なので、住所がわかっていても何の役にも立たず、最初の頃は日が落ちて、真っ暗になった畑の中の小道で、途方に暮れたことがたびたびあったな。しかもその場で清算するんだが、これが結構たいへんなんだな。そろばんの有段者でもならまだしも、電卓もなしに疲れた頭で何千何百何十何円という1円の桁までのおつりの計算はほんとに骨が折れた。時には万札でおつりをくれと言う奴もいて、万札なんか出すんじゃねえよ馬鹿野郎と怒鳴りたくなることもあったな。

 宅配業界はけっこうきついといわれているが、国民が便利さに慣れて、有り難みを感じなくなっているんだろうな。何事にもあそびが必要で、無理な要求もほどほどにしないと、誰もやらなくなってしまうんじゃないかな。