十代の頃は、わしがこのような人生を歩む事になろうとは、想像もできなかったが、結局何かに導かれるように、あれこれ取捨選択しながら、休まず歩いて来たこの道が、自分には一番適していたんじゃないかなと思えるようになったな。大学にいった4年間も、何が役にたったかと問われると、これが役に立ったと言えるような内容はないが、今の自分になるために過ごした、4年間の時間は何らかの役にはたっているんだろうな。自分の意思でしたと思っている、人生においての様々の取捨選択も、案外何かの力に選ばされたのかもしれんな。
わしは船乗りをやめたあと、飛行機のパイロットになろうと思い、JAL、ANA、TDAの自社養成を受けようと準備していた。それともう1つ農林水産航空協会というところが養成していたヘリコプターパイロットにも応募していた。これは農林水産航空協会が採用後、自衛隊に委託して訓練するシステムで、費用は当時国家公務員初任給が6万円くらいの時250万円かかったが、無利子20年払いで返済すればいいので、それほど大きな負担ではなかった。わし自身、船乗り最後の半年でためた300万円の現金もあたったしな。
ところが、3月の末くらいに受験の準備をしようと、東京に部屋を借りて住んだとたんに、パイロットが過剰で今年から3社とも自社養成は中止というニュースが飛び込んで来たんだな。農林水産航空協会のほうは11月に例年通り試験実施ということは確認したんだが、薬散ヘリのパイロットはあまり意欲はわかなったな。とにかく不況で航空大学校に行ってもラインパイロットになれない時代だったので、この道はすっぱりあきらめざるを得なかった。
もう一度船に乗る気もしないし、300万を使って、4年間の時間を買うつもりで大学にいってみるのも悪くないかなと思うようになった。この選択がわしのその後の人生にとって大きな分岐点になったようだな。船に乗っていた時、いつも頭の中では、交代の者が持って来る、5〜6週遅れの週刊誌を読んでいるような生活がこれから先40年も続いたら、人生を無駄にしてしまうんじゃないかという不安が渦巻いていた。しかし、なぜそう感じるのか、有意義な人生とはなにか、さっぱりわからなかったので、それを探求するために、考える時間が欲しいと思うようになった。そして考えるためには、大学の4年間という時間はモラトリアル期間として、金をかけて買う価値があると思うようになったんだな。
この人生をかけた選択がどうだったのか、一生結論は出ないだろう。しかし、わしは人生において無駄な事は無いと思っている。船乗りのわしがいて、その後の人生が開けてきたことは間違いない。パイロットになれなかったことによって、大学への道が開けた、そのことによってその後の展開があり、少しずつだが、成長できたであろう今の自分にたどり着いた。これは大きな流れに導かれたとしか思えないんだな。
これから先も、この大きな流れに導かれるままに流れて行くんだろうな。