無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10669日

 最近ほとんどテレビを見なくなったが、見なくなった理由は面白く無いからだ。どのチャンネル見ても芸人が出てぺちゃくちゃしゃべって、自分たちで大口空けて勝手に笑っているだけで、何が面白いんだかさっぱりわからん。ベランダに出てカラスの鳴き声でも聞いていた方がよっぽどましだな。ひな壇に並んだ、コメンテーターとかいう皆さんが言うことといえば『アベ政治を許さない』とか、昔の『安保反対』の劣化版のようなことばかりで、ある芸人が嫌なら見るなと言ったらしいから、それで見なくなった人もたくさんいるようだな。

 インターネットでマスコミの裏を知る迄は、別にテレビを見るのは嫌ではなかった。完全に生活の中にとけ込んでいたからな。うちがテレビを買ったのは昭和35年の初めの頃だと思うが、それ以来50年以上生活の一部で、信用できる媒体だと信じて疑わなかったんだから、今から考えると恐ろしいことだったな。

 少し意味合いは違うが、わしらが子供のときは、日本テレビ系列でやっていた日本プロレスだって真剣勝負をしていると信じて疑わなかった。近くの町では、グレート東郷の流血試合をテレビで見て、ショック死したおばあさんがいたくらいだ。もちろん白黒テレビでだ。おとなも信用していたんだな。正体不明の赤仮面の怪人ミスターアトミックなんていうのも、本当に正体不明だと信じていたからな。入国審査は?なんてことは、当時外国なんて遠い世界だった大人も子供も、考えたこともなかったんじゃないかな。

 しかしプロレスに関していえば、大きくなってそれが真剣勝負ではなく、戦いのシミュレーションだとわかってからも、じゅうぶんおもしろかった。わしはプロレスを実際に見に行ったのは一度だけで、当時住んでいた東京近郊の東久留米市図書館前広場で行われた全日本プロレスだった。きれいに技をかけたり、受けたりも面白いが、なんといっても一番面白いのは場外乱闘で、わしはリングサイドにいたんだが、目の前で炸裂するジャイアント馬場の脳天チョップ、飛び散る汗、近くに来たテッドデビアスにわしの座っていたパイプ椅子を渡してやると、その椅子を持ってジャイアント馬場に殴り掛かっていったぞ。このころのプロレスのほうが面白かったな。

 まあ、プロレスの話はいいんだが、インターネットの出現によって、テレビを含めて、マスコミという職業の地位が低下しているのは間違いないだろう。少し英語がわかれば、別に共同通信なんかに流してもらわなくても、誰でもそのソースに直接あたることができるし、英語がわからなくても、解説している多くの日本人の個人ブログがある。それを見て、いろいろな考え方があることを知ればいいんで、何もテレビや新聞に交通整理してもらう必要はない。

 ここの地方新聞でも、授業に新聞を活用する運動をやっているようだが、いくら子供のうちに染めようとしても、この情報化社会で、今の若者を一色に染めるのは難しいだろうな。