無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10458日

 毎朝8時頃になると、クマ蝉の鳴き声が聞こえるようになる。うちの猫の額くらいの庭にもよく来るが、その時には必ず椿の木にとまって鳴いている。それは2mくらいの高さの、侘助という種類の椿で、毎年白い奇麗な花を咲かせている。すぐ横に、同じ位の大きさの紅梅白梅の木があるんだが、そこにとまっているのを見たことがない。偶然なのかもしれないが、毎日、梅では鳴かず、椿だけで鳴くのを見ていると、何かありそうな気もする。ネットで調べてみると、京都産業大学付属高校の米澤信道という先生が「土壌の乾湿と樹種嗜好性ー蝉樹種嗜好性の概要ー」という研究結果を公表していた。それによると、やはり蝉によって嗜好性の違いはあり、椿に関しては言及してないが、どうやらクマ蝉には、梅は好まれてないようだ。

 わしらが小さい頃は、クマ蝉が珍しく、鳴いている姿を、直接見る機会もなかった。アブラ蝉、ニイニイ蝉はいくらでもいたが、クマ蝉やミンミン蝉は高い木の上で鳴いているので、透明の羽を持った蝉は、子供等にとっては憧れの的だった。ところが今では、庭に面した掃き出しに座って、1mほど先で鳴いているクマ蝉を、心行くまで観察する事ができるようになった。ジーという声で10〜20秒ほど鳴いた後、体全体を縦に大きく振りながら、シャンシャンシャンと大きな声で鳴き始める。体内のどこかで共鳴しているんだろうが、どうやれば、あの小さな体で、聞く人の鼓膜をビンビン振るわせるような、大きな声を出すことができるのか、不思議だ。

 一鳴きか二鳴きすると、何の未練も無く、さっと飛んで行ってしまう。蝉には蝉の習性があり、これもそうなんだろうが、わしから見ると、もう行ってしまうのかと、この潔さが羨ましいと感じることもある。 単なる暇人の感情移入だと笑われるだろうが、このクマ蝉は、何年も土の中で成長し、出て来て2週間ほど生きて死んで行く、その一生の残された最後の時間、今この瞬間を精一杯生きていると思うと、鳴き声をもっと聞きたい、もっと鳴いていってくれよと思う事もある。