無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10295日

 一昨年の11月に、白山ひめ神社と敦賀気比神宮に参拝して以来、参拝旅は休んでいる。女房には、ボケ防止にもなるし、どこかに出かけてきたらいいのにと言われているが、当初予定していた神社は全部回ってしまったということもあって、なかなか思いつかない。行くとすれば九州の宗像大社霧島神宮高千穂峡あたりを考えている。しかし、これを短期間でに回ろうとすると、JRとバスを乗り継いで行くのは無理で、やはり車で行くしか選択肢はないんだろうな。

 そんなことをいろいろ考えていると、女房に無料の一日バス旅行が当たった、というはがきが舞い込んできた。福山草戸稲荷参拝と岡山の湯郷温泉入浴がセットで、本人は無料、同伴者5000円という好条件だったが、早朝6時にJR駅前を出て、帰ってくるのが午後8時という日程は、引きこもりじじいに二の足を踏ませるには十分だった。結局女房に勧められて参加することになったが、結論からいうと、まあそれなりに良かったかなと思う。

 この手の旅行に必ず付いてくるのが、~の見学とか、~の販売とか、旅とタイアップした催し物で、今回はムートンの工場見学が一時間以上も組み込まれていた。ムートンが高いものだということは知っていたが、卸価格で、シーツが40万とか50万とかいう値札が付いているのを見てびっくりした。カーペットでも20万とか30万とかで、最初は丸の数を一つ間違えているのではないかと思ったくらいだ。

 もっと驚いたのが、店の人が本気で売ろうとしていたことだった。そもそも、夫婦で5000円の団体旅行に来るような層の人達が、即決できるような金額ではないだろうに。それとも、次から次へと団体が来ていたから、中には買う人もいるのかもしれんな。そこから1時間半ほどで湯郷温泉に着いた。ここは楽しみにしていたんだが、入浴時間は正味50分ほどしかなくてがっかりだった。こんなことなら、ムートンの時間を削ってでも、せめて1時間半はとって欲しかった。しかし営業的にはそうもいかんのだろう。

 まあ、値段なりの旅行だと思えば不満はないとはいえ、とにかく疲れた。バスの走行中はほとんど寝ていたので、どこをどう走ったのか全くわからないが、それでも旅ができるというのが、団体バス旅行の醍醐味といえばいえるのかもしれない。後ろの席で騒いでいた中年のおばちゃんグループが、また一緒に行く約束をしていたから、これはこれで需要はあるようだ。わしはもういいかな。

あと10303日

 仕事を辞めてしまうと、人生がつまらなくなるということの原因の一つに、人から評価されることがなくなるということがあるのかもしれない。去年の3月で仕事を辞めた、同い年のTさんからの年賀状に、農業、歴史、アマチュア無線等、いろんなことがやりたいこととして挙げられていた。ここは夫婦で年金があるので、金の心配はないとしても、どうやら仕事を辞めて収入が無くなった後も、嫁さんの家事労働に寄生しつづける生活をするつもりでいるようだ。

 世の中いろんな人がいるもので、Tさんなんかは、わしとは全く逆の性格で、機を見るに敏といえばいいのか、いろんなところに顔を出すのが好きで、交際範囲も広くて役に立つ人ではあった。頭の回転も速かったし、話も上手だったが、それと同時に、人からの評価を非常に気にしていた。そもそも、自ら人の中に入っていくのが好きな人で、評価されることが嫌いという人は少ないだろう。Tさんも、もちろん良い評価を得たくてやっていたんだろう。お陰で、それなりに人よりも出世して、給料もよかったから、目標達成というところかな。

 Tさんは、家に引きこもって、他者からの評価を受けることなく、嫁さんからの評価だけで生きていくことは困難だろうと思っていたから、あのTodoList満載の年賀状を見た時、やっぱりなと、思わず笑ってしまった。一生勉強することは大切だが、若い時と違ってゴールが見えてきた今、何をやるかという選択は、非常に重要だと思っている。最近学び直すとか言って、知識を求めて大学に入学する人達もいるようだが、おそらくTさんのように、人に関心をもってもらわないと、有意義な人生が送れない人達なんだろう。

 わしは逆に、年金生活になって、人からの評価を受ける機会もなく、つまらない知識の集積からも解放されたということに、一番の喜びを感じている。66年間詰まった知識を開放して忘れてしまいたいとさえ思っているのに、今更新しいガラクタを詰め込むことなど考えられない。こんなことを言うと、誰かに「あの伊能忠敬を見てみろ。50を過ぎて隠居してからあれだけのことをやり遂げたのだから、できないことはない。」と反論されたことがあった。

 「歴史上何人もいないような偉人を取り上げて、お前もできるなどと無責任なことは若い人に向けて言ってくれ。60も過ぎれば、身の程を知るということも大切なことだろう。」と答えておいた。しかし、たとえ毎日が死ぬための準備だとしても、それだけで緊張感を持って毎日を過ごせるわけではない。いくら求めても、正解は誰にもわからないし、闇夜の海を航海するようなものだ。これをやればうまくいくという指標もない。しかも、そこでは知識は何の役にもたたない。

 欲を言ってもしようがない。ああ今日も良い一日だったと信じて寝ることができれば、それ以上の幸せはないはずだ。

あと10307日

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

 今年は二男と3人で過ごす静かな元旦だった。のんびりと朝10時過ぎまで寝ていたので、うっかりして国旗掲揚を忘れたしまった。午後4時くらいになって、忘れていることに気が付いたが後の祭りだった。昔ならどの家でも掲揚していたから、忘れることはなかっただろうが、今では近所で揚げている家は一軒もないので、自分が忘れるとそれで終わりだ。元旦というおめでたい日に、何で誰も揚げないんだろう。不思議だ。

 最近では新年の祝詞は大晦日の0時を回った頃に済ませてあるので、朝はゆっくりできるようになった。ゆっくりすると言っても、新聞も取ってないので、朝起きても別にすることもないというのが現実だ。3人でお雑煮を食べてぼうっとしていると、昼前に年賀状が届いた。還暦を過ぎてからは、惰性で書いていたのをやめたので、その数も随分減った。年賀状は30歳の正月から書き始めて今年が36年目になるが、なぜ書き始めたのかはっきり覚えていない。

 丁度今年と同じ戌年で、筆で犬の絵を描いて送ったが、犬か狸かわからんと、さんざん言われたのを覚えている。そう言えば、あの一年は趣味で演劇に関係していたので、端役で2回公演にも出たことがあったが、今ではわしの所謂黒歴史の一コマとなっている。一緒に新宿のディスコに行って踊ったり、今でもあるのかどうか知らないが、歌舞伎町の番番という焼き鳥屋で、皆で飲んだりして楽しかった。しかし、つまらないトラブルもあったり、あまり思い出したくないというのが正直なところかもしれない。

 それでも解散後10年くらいは、何人かと年賀状のやりとりもしていたが、あの頃の友達で、今まで付き合いが続いている人は誰もいない。時々、みんなどうしているかなと思い出すこともあるが、名前も顔もほとんど忘れてしまった。年賀状からこんな話になってしまったが、若いときの記憶というものは、思い出して楽しいというよりも、こうすればよかった、ああすればよかった、あんなことしなければよかった、というような後悔のほうが多いような気がしている。

 心配していた二男も、吹っ切れた様子で、やる気をだして元気そうだったし、長女一家も長男一家も楽しくやっているのを見て安心した。これだけで本当に有り難いことだ。天気もよくていい正月だったな。

あと10313日

 今年も残すところあと2日になってしまった。この一年もいろいろあったが、有名大学をでて、優秀と言われる学生が蝟集したはずの東電、東芝、シャープ、神戸製鋼、日産、ここらの体たらくをみていると、日本の将来もどうなることやらと、暗澹とした気持ちになる。

 暗澹たる思いと言えば、前回のブログに書いた、雇用保険待期期間の3か月分の年金が、後から返って来ないという話だが、新しい展開があり、暗澹たる思いは吹っ飛んでしまった。2日前に同じTさんから電話があった。Tさんから電話だというので、わしはてっきり文書による回答ができないとか、回答に時間がかかるとかいう連絡だと思って受話器をとった。

 Tさんは名前を名乗った後に「申し訳ございません。手続きが遅れておりまして、1月23日に振り込みます。」と言った。Tさんの言葉を聞いた時、わしの頭の中は混乱してしまった。あれほどきっぱりと否定していたのに、それに関する詫びの一つもなく、唐突に振り込みますと言われても話がなかなかかみ合わない。

 例えば、3か月分の年金が返されることが確定した後に、その時期を相談をしていたのなら、Tさんの「申し訳ございません。手続きが遅れておりまして、1月23日に振り込みます。」という回答は辻褄があう。しかし、Tさんは返ってくること自体否定したのだから、1月23日に振り込みますと言う前に、「申し訳ありません。自分の判断が間違っていて、○○さんの場合は、3か月分の年金が返ってきます。その時期については云々。」としなければ辻褄が合わないのではないだろうか。

 返ってくるのは、待期期間3か月分の年金だということを確認して電話を切ったが、年金に関する仕事をしていて、しかも、受給者からの相談を受けているような立場の人が、この体たらくでは、日本の年金行政は大丈夫かと不安になった。過去にも、いろいろトラブルのあった年金だから、自分の身は自分で守るという気持ちで、常にチェックしていないと、どんな不利益を被るかわからない。

 日本は、専門家がやっているんだから大丈夫、といえる社会だったような気がするが、不祥事の続く現状をみると、日本人全体のタガが緩んできているような気がしてならない。杞憂であればいいんだが。

 今年のブログは今日で終わりになります。皆さんよいお年をお迎えください。

 

haruさん、ブログ楽しみに待ってます。

 

あと10320日

 去年の6月にハローワークで、64歳年金受給者が雇用保険を申請すると、自己都合退職による3か月の待期期間は年金が止まるが、雇用保険給付の期間が終了すると、その3か月分の年金が返ってくると言われていた。そんなうまい話があるのかと飛びついたんだが、案の定、それほど単純なことではなかったようだ。細かな規則を職員が知らなかったのか、或いはわしが誤解していたのかしらないが、結果的には損をしてしまった。世の中、旨い話は無いということだな。

 わしはハローワークで教えられた通りの方法で手続きをして、待期期間が終わる11月から雇用保険を給付された。その給付期間が今年の3月で切れたので、3か月分の年金が返されるのを楽しみにしていた。しかし夏になり、秋になっても何の連絡もないので、電話をかけて聞いてみた。その時の経緯については、以前このブログでも書いたことがある。電話に出た女性職員は、雇用保険受給資格者証の第3面をコピーして送ってもらえれば手続きが早くなると教えてくれた。この時点で、当然返してもらえると確信してしまった。

 しかしそれから2か月たっても何の連絡もないので、3日前に、今の状況を教えてほしいと、年金相談の部門に手紙を送った。昨夜7時頃に、珍しく家の電話が鳴ったので、なにかと思ってでてみると、返事の電話だった。Tさんという、声の感じが50代くらいの人で、こんな仕事をしているんだから、年金については詳しいんだろう、わしの送った手紙の文面を読み上げた後、「○○さんの場合は、4か月分の年金が止まることによって事後清算は終わっています。したがってかえって来ることはありません。」と言った。

 ハローワークで、返ってくると聞いているし、以前におたくの年金係が雇用保険受給資格者証の第3面のコピーを送れというので送ったんだが、それはどういうことなのかと聞くと、それには答えずに、事後清算が終わっているということを繰り返した挙句、わかりませんかいうので、これにはさすがにちょっとカチンと来た。わからないから聞いている年金受給者に、事後清算とかわけのわからん言葉を使ってけむに巻くつもりなんだろう。法律家が「きょうばい」を「けいばい」と読んで、専門家ぶっているのと同じ心境なんだろうな。

 おそらくこのTさんと、電話でいくら話しても堂々巡りになったことだろう。回答は1~2週間のうちに書面で送ってもらうことにして、素人に話すときには、かみ砕いて話をしろよと思いながら、電話を切った。年金の相談員が、相談者に木で鼻をくくったような回答しかできないんでは、一体何のための相談員かわからない。さあ、どんな回答を送ってくるか楽しみだ。

 Tさんは専門家の自分が回答したことで、素人は納得するだろうと誤解しているようだが、わしが知りたいのは、専門家としてのTさんの判断ではない。その判断に至った根拠の法令なり、規則なりを示してもらって、自分で納得したいということだ。電話を切ってから、ネットで事後清算という言葉の定義から始まって、いろいろ調べてみると、確かにTさんの言うとおりであることはわかった。しかしTさんが、あの電話の説明で相手が納得すると思ったのだとしたら、それは傲慢というものだろう。素人にわかる言葉で、理路整然と説明できないなら、相談員としては失格で、他の場所へ異動してもらったほうが、本人のためにも、相談者のためにもなるのではないかと思った。

あと10327日

 おふくろは貴金属類は早めに形見分けしていたのと、亡くなったのち、女房が良いものから他の親族にあげてしまったので、大したものは残って無かった。そんな中で、盗まれたんじゃないかと、おふくろが死ぬまで気にしていた、金のネックレスだけは杳として行方不明のままだった。

 それが出てきたのは、去年の暮、おふくろの着物を処分するために、箱に詰めている時だった。着物の間に挟まれた状態で、実に13年ぶりに姿をあらわした時、一目見ただけで女房はアッと声を上げたから、あのネックレスだとすぐに気が付いたんだろう。女房が一枚一枚丁寧に調べながら箱詰めしていたからよかったが、わし一人で作業をしていたら、気が付かずに捨ててしまったかもしれない。

 そのネックレスは、もし出てきたら女房にあげると言われていたものなんだが、型も古くて女房も使い道がないので、いっそのこと売りに行こうかという話になった。それならついでに、昔からたまっている、金杯とか銀杯とか、ウィスキー、ブランデー、わしがメキシコのアカプルコで時計と交換した指輪類等ガラクタも全部集めて持って行くことにした。

 45年も前のことだが、わしがアカプルコの海岸通りを歩いていると、珍しく英語を話すメキシコ人が近寄ってきた。所謂故買屋というやつなんだろう。立派なダイアモンドの指輪を見せて、由緒ある家から盗まれたもので、安くしとくから買わないかという話だ。そんなに金は持ってないというと、わしの腕時計をみて、それと交換しようと言い出した。

 時計といっても、シチズンの安物の時計だし、しかもバンドを針金で修理していたので、今度日本に帰ったら買いかえようと思っていたような代物だった。どうせ偽物だろうとは思ったが、こんな時計で良ければと、宝くじでも買うようなつもりで交換してやった。それから45年、とうとうあの指輪の真贋がはっきりする時がきたかと、わしにとっては金のネックレスの値段よりも、こちらのほうが楽しみだった。

 いよいよ鑑定が始まり、酒類は一瓶500円、コーチの帽子500円、クロコダイルのハンドバッグ3000円、と進んでいって、とうとう金のネックレスの順番が来た。店長はこれを持ったとたんに、「おっ、これは。」と声を上げ、目方を測って○万円。女房は大喜びだが、わしはそんなことよりも指輪が気になっていた。

 そして指輪の順番が来た。すると、店長はほとんど見ることもなく元の箱に戻してしまった。う~ん、そういうことなんだろうとは思ったが、恥を忍んで一応聞いてみた。店長の返事は、「はめ込まれている3個のダイヤを見るまでもなく、まず装飾が良くないですね。いいものはこんな装飾はしません。イミテーションですね。よければこちらで処分しときますが、お持ち帰りしていただいても結構ですよ。」だった。

 これは、45年間の密かな期待が見事に粉砕された瞬間でもあった。指輪も含めて、売れなかったものの処分をお願いして、ホクホク顔の女房と一緒に店を後にした。

 

あと10332日

 毎日毎日家にいるので、何も変化が無いように思われがちだが、そうでもない。そのほとんどは本当に些細な、つまらないことではあるが、まるで誰かに試されているような気がすることもある。先日こんなことがあった。

 12/7は近くの医院でインフルエンザの予防接種を受けることになっていた。午後4時半から接種だったので、25分には行って受付を済ませた。ここは一昨年に開業したばかりで、今風というのか、受付周辺もこぎれいで、医院というよりもどこかのオフィスにでも迷い込んだかのようだ。

 そこで黒いお揃いのワンピースを着た女性が2人、まるで社長秘書のような感じで受付業務を行っている。入った瞬間に、ここはちょっとわしには合わないなと、嫌な予感がした。○○ですがと名乗って来意を告げると、パソコン画面で予約を確認して申告書を渡された。わしは確認のため「65歳以上ですが、この用紙で間違いありませんか?」と尋ねた。というのも、65歳以上になると市から2000円の補助がでるからだ。「えっ、65歳以上ですか?」その女性は一瞬あわてたような表情を見せたが、すぐに「それで間違いありません。」と不愛想に答えた。

 大きなお世話かもしれないが、わしなんかから見たら、黒のワンピースというのも趣味が悪いと思うし、受け答えにしても、不愛想にもほどがあると思うんだが、これが院長の趣味なら仕方がない。黙って指定された部屋に向かった。中に入ると既に20人ほどの先客が待っていた。1人3000円だから、これだけでざっと6万円かと計算をしながら、わしは空いていた椅子に座って名前が呼ばれるのを待つことにした。

 5分経ち、10分経ち少しずつ人は減って来た。30分経った頃には、初めにいた20人は全部終わったはずだが、まだ呼ばれない。確実に後から来た人が呼ばれるようになった。おかしいなとは思ったが、ちゃんと受付をして、名前を確認後、申告書も出しているんだから、何かの都合で順番が入れ替わったんだろうと軽く考えていた。そして1時間たったころ、受付でさっきの女性がわしの名前を呼んでいるのに気が付いた。

 返事をすると、さも驚いた様子だった。「えっ、まだですか?」というので、ここで初めてわしは受付の怠慢に気が付いた。接種は既に終わったはずなのに、わしが金を払わずに帰ったんじゃないのかと心配になったんだろう。ちょうどその時、次の順番の人を看護師が呼びに来たので「一時間待っているんだが、いつまで待てばいいの?」と聞いてみた。するとあわてて医者に確認してすぐに呼ばれた。

 診察室に入ると、医者が受付の入力ミスを謝罪したので、やはり受付の怠慢で間違いなかったようだ。接種を終えて受付に用紙を届けると、そのミスをした女性がそれを受け取った。わしは何か一言謝罪の言葉があるだろうと思って待っていると、出てきた言葉は「すぐに計算できませんので、椅子に掛けてお待ちください。」だった。最近のコンビニやファミレスでのマニュアル通りの応対を連想させた。最後に会計を済ませて出るときに、呼び止められたので、少しは反省したのかなと振り返ると、「よろしければ、当院のパンフレットをお持ちください。」と宣うた。最後まで、そこの接客マニュアル通りだったのかもしれないが、そのマニュアルには、人に迷惑をかけた時はきちんと謝りなさいとは書かれてなかったようだ。

 「もう来ることは無いから、パンフレットなんかいらないよ。」という心の声を聴きながら外へ出ると、すでに夜になっていた。