無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10908日

 抜けるような青空をバックに、城山の新緑と白壁の古城が清々しい日だ。何十年と見慣れた風景だが、改めてみるとまた美しい。近頃はここらあたりも高いマンションなどができて、景観が悪くなったといわれるが、わしの家からは昔の通り城を見る事ができるのは幸せだな。

 わしの家族は昭和26年に今の土地にやってきて小さな2階建ての家を建てたそうな。大東亜戦争が終わって、農地の宅地化が始まった頃で、うちも畑を買い、宅地にしてそこに建てたんだが、北側には古い家が建っていた。そしてそこのじいさんは縁側に座って城を眺めるのが好きだったんだな。ところが、ちょうどその前の、猫の額くらいの土地に2階建てが建ったもんだから、気の毒な事に縁側から城が見えなくなってしまったらしい。そのじいさんは慶応生まれだといってたから幕末だな。城には思い入れがあったはずだが、生きるのが精一杯の時代だったし、景観のことなんぞ誰も相手にしなかったんだろうな。今ならわしもその気持ちがよく理解できるよ。

 ここも戦後の都市計画というのがあったらしく、うちの周辺は虫食いにならずに、きちんと区画整理ができている。道路も車が離合できる幅があり、わしらが子供の頃は広々とした公園のような遊び場だった。しかし一番の驚きは車が曲がりやすいように道路の角をとっていることだ。この都市計画を考えた人は、車なんか終日1台も走ってない時に、いずれ車が走りまわる時代が来る事がわかっていたんだな。こんな田舎にえらい役人もいたものだと思い、専門家に聞いた事あるんだが、なんでかは知らないが、その当時市役所に東京帝国大学出身の都市計画の専門家がいたらしい。今の東大はあまりあてになりそうも無いが、帝大には先見の明のある偉い人がいたんだな。良い仕事してるよ。